6年前の父に「今の私」伝えた彼女の時空超えた旅 小説「さよならも言えないうちに」第4話全公開(3)
思い出した。
この表情。
母が亡くなる前から、亡くなってからも、ずっとずっと賢吾が路子に向けていた、路子がずっと見てきた表情だった。賢吾は何も変わらなかった。ただ、あの日までの路子の目には、怒っているようにしか見えなかったのだ。
「宿題をやれ」
「早く寝ろ」
「遅くまで遊んでるんじゃない」
「友達は選べ」
「その服はやめろ」
あれはだめだ。これは許さない。どの時も……。同じ表情で、同じ思いで、路子のことを見ていた。高圧的に見えたのは路子の目が曇っていたのだ。父のことを疎ましく感じていた心が曇っていただけだった。
「あ、えっと」
そんなことにも気づけずにいたなんて……。
「実は……」
(祐介のことを話そう。お父さんは戸惑うかもしれない。でも、言うなら、今しかない)
「子供が、できたんだ」
「お父さん、私ね……」
「ん?」
「子供が、できたんだ」
路子は目を伏せたまま、カップの中で揺れるコーヒーだけを見ていた。
賢吾がどんな表情をしているかはわからない。ただ、賢吾の呼吸、息を吸って、吐く音だけがやたらと大きく聞こえる。
(怒られるかもしれない)
そんな思いが頭をよぎる。父の立場に立ってみれば当然かもしれない。今の路子は二十五歳。だが、賢吾にしてみれば田舎から東京へ送り出して、わずか一年弱。二十歳前の娘からの告白である。
「結婚しようって言われてて……」
それでも、ちゃんと伝えておこう。今の私を。
もう二度と会えないのだから……。
路子が顔をあげると、賢吾はなんとも寂しそうな目をしていた。
親元を離れ、巣立つ娘。
もしかしたら、路子を東京に送り出した時から、賢吾はそんな日が遠くないことを予感していたのかもしれない。
「そっか」
苦みのある、弱々しい返事だった。
笑おうとしているのに、眉間のしわがさらに険しくなり、怒っているようにも見える。
だが、路子が聞いてほしかったのはそのことではなかった。
「でも、怖いの」
手の震えが止まらない。
「私なんかが幸せになっていいのかな? 私、お父さんにひどいことばっかり言ってきたし、言っちゃったし……。お父さんが私のこと、ずっとずっと心配してくれてたのに、全然気づかなくて、無視して勝手なことばかり言って……」
(お父さんを追い返してしまった)
私があの時、お父さんを追い返したりしなかったら、お父さんは死なずにすんだかもしれないのに。自分のことしか考えていなかった。
「それなのに」
「いいんだよ」
賢吾が路子の言葉を遮る。
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