便意と尿意が転機?「徳川家康」のまさかの歴史 23年の大河ドラマ「どうする家康」も話題に
 
メンタル激弱でもなんとか生きのびたワケ
天下を取った人ですから相当意志の強い、かっこいい人というイメージがありますが、実はメンタル弱々。もともとは三河国(現在の愛知県あたり)の領主・松平家に生まれた家康さん。
戦国時代は同盟を結んでいる相手と「戦をしませんよ」という証明として、子どもが同盟国に人質として送られることが一般的でした。家康さんも6歳の頃から織田家や、今川家で人質として、育てられました。大人になって今川義元の姪っ子とも結婚して(諸説あり)、将来的には今川家の重役となるよ、って感じで成長していくわけです。
そんな家康さんは17歳のとき、今川家の武将として桶狭間の戦いに参加しました。当時、今川家は非常に力もあって有名だったんです。対する織田家は、まだ世間的には「強い家ですよね」という認知がなかった。なので、誰がどう見ても「今川さんが勝ちますよね」っていう戦だったんです。しかし、信長による本陣奇襲に合い、大将・今川義元が討ち取られてしまうんですね。





 
         
         
        
       
        
       
           
          
         
          
         
          
         
         
         
         
        











