便意と尿意が転機?「徳川家康」のまさかの歴史 23年の大河ドラマ「どうする家康」も話題に

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ちなみに、独立して自分で勢力を広げようとしていた時代に、遠江国(現在の静岡県あたり)の三方ヶ原の戦いで武田信玄と争ったことがあったんですが、武田信玄は強いんですね。コテンパンにやられて、命からがら自分の城へ逃げ帰りました。

ただ、怖かったんでしょうね。そのとき家康さんは、なんと! 馬の上でうんち漏らしちゃったんです。そのうえ、「この悔しさを忘れるものか」と、お尻も綺麗になっていない状態のまま、絵師に似顔絵を描かせました。悔しそうなしかめっ面で。ただそのときには、切腹するとはならなかったんですね。

絶対に、「今でしょ」っていう気がしますけれども。でもその悔しさをバネに天下を取ったわけですから、天下統一はうんちのおかげなのかもしれません。

天下一のケチだから成功できた!?

実は、倹約家だったからこそ天下を取れた、ともいわれている家康さん。幼い頃から人質生活を送っていたので、いろいろ我慢しなきゃいけないことには慣れていたんですね。

偉くなってからも着物はボロボロになるまで着て、新しい着物を持ってきたお手伝いさんを「馬鹿野郎! まだ着れるのにもったいないだろう!」としかりつけてしまいます。

家臣が座敷で戯れて相撲を取っていたときも、「もうやめろ! 畳が傷むから、裏返せ!」と言って、畳一枚で怒ってしまうケチさ。かわいいですね。さらに「薄黄色のふんどしをしろ」と家臣に命じています。真っ白のふんどしよりも汚れが目立たないから、って。自分が使うならいいですけど、家臣にまで強制してしまうところが、ケチの極みですよね。

それから、お手洗いで用を足した後に、お尻を拭こうとして、紙がふわっと飛んじゃったときも「もったいない」と、おケツ丸出しでその紙を追いかけたそうです。ケチというか、なんかもう恥も外聞もないですよね。

でもそういう感性だからこそ、お金や戦力の無駄をしっかりと考える。余計な戦はせずに、敵が弱ったときに攻めて、領土を広げるという省エネ作戦が多いんです。天下を取ってからも、倹約を家訓にすることで、江戸幕府は260年も続いたわけです。倹約家・ケチも、行くところまで行くと、天下一になるのかもしれないですね。

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