鳥居元忠、1800人で4万の軍を凌いだ苛烈な13日 関ヶ原の戦い前哨戦で命を賭して時を稼いだ忠臣

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NHK大河ドラマ『どうする家康』 音尾琢真 鳥居元忠
幼少期より家康に仕えた鳥居元忠は、何を願っていたのでしょうか(画像:NHK大河ドラマ『どうする家康』公式サイト)
NHK大河ドラマ『どうする家康』第40回「天下人家康」では、秀吉の政を愚直に追いかけ人心をつかめない三成は佐和山城に隠居することになり、家康が政の実権を握りました。第41回「逆襲の三成」では、家康は謀反の噂があった上杉を討つべく会津に向かうために、伏見城を鳥居元忠に預けることに。この家康の忠臣・元忠の生涯について『ビジネス小説 もしも彼女が関ヶ原を戦ったら』の著者・眞邊明人氏が解説します。

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鳥居元忠は1539年、鳥居忠吉の三男として生まれました。『どうする家康』では松平家譜代の家臣である元忠の父・忠吉をイッセー尾形さんが演じ、その息子・元忠(彦右衛門)は音尾琢真さんが演じています。

元忠は、家康が松平竹千代と呼ばれていた時代から側近として仕え、家康より3つ年上ゆえ幼いころの家康にとっては兄のような存在だったのかもしれません。

元忠は三男だったので本来、鳥居家を相続する立場にはありませんでしたが、長兄の忠宗が戦死、次兄は出家していたため、1572年に忠吉が死去すると家督を継ぐことになります。

家康の側近として主要な戦に

元忠は家康の側近として、姉川の戦い、長篠の戦い、高天神城の戦いなど、徳川の主要な戦いには、すべて参戦しました。

本能寺の変で織田信長が倒れ混乱に陥った甲斐・信濃をめぐって北条氏と対立した天正壬午の乱では、北条氏忠らを打ち破る武功をあげます。この功により武田家家臣だった小山田氏の旧領の支配を命じられ、この頃には元忠は徳川家臣団のなかでも軍団長のひとりとして家康から重用されていました。

その元忠の軍歴に傷がついたのは、1585年の第一次上田合戦です。上杉景勝に通じた真田昌幸を討伐するために、大久保忠世、平岩親吉とともに真田の居城である上田城を7000の大軍で攻めますが、老練な昌幸の防御戦の前に散々に打ち破られてしまいます。

この敗北は、当時最強と言われた徳川軍の惨敗として大きく喧伝され、真田昌幸の武名を大きくあげる結果となりました。

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