鳥居元忠、1800人で4万の軍を凌いだ苛烈な13日 関ヶ原の戦い前哨戦で命を賭して時を稼いだ忠臣

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家康はこの元忠の死を悼むとともに、その戦いぶりを賞賛します。伏見城に残された血染めの畳を引き上げ、江戸城にある伏見櫓の階上に置きました。江戸城に登城する大名たちはつねに、この血染めの畳を頭上に見上げたと言われています。

この畳は明治維新での江戸城明け渡しまで設置され、その後、壬生藩鳥居家に下げ渡され、鳥居家によって丁重に、元忠を祀る精忠神社に埋納されました。また、畳の下の床板は「血天井」として、京都の源光庵などに今も伝わっています。

NHK大河ドラマ『どうする家康』鳥居元忠
源光庵の血天井の足跡(写真:barman/PIXTA)

元忠の具足も今に伝わるものです。伏見城の戦いで元忠を討ち取った鈴木重朝は、元忠が着用していた具足を元忠の嫡男・忠政に形見として返還を申し出ます。しかし忠政は丁重に断りました。

「名誉とともに、ご子孫に伝えてほしい」と。

鈴木家はこの具足を家宝として大事に守っていくことにしました。この具足は現在、大阪城天守閣に寄贈されています。

亡き後も子孫を救った元忠の勲功

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家康にとってこの伏見城の戦いがいかに重要であったかは、その後の鳥居家の処遇に現れています。後を継いだ忠政は最終的には山形藩22万石を与えられました。父の元忠からなんと6倍の加増でした。

この後、鳥居家は何度かの改易にあいますが、いずれも取り潰しにあっても仕方ないところを「元忠の勲功」に免じて改易で済んでいます。

「徳川四天王」と比べると存在感の薄い感のある元忠ですが、徳川家にとっては特別な存在だったのです。

眞邊 明人 脚本家、演出家

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まなべ あきひと / Akihito Manabe

1968年生まれ。同志社大学文学部卒。大日本印刷、吉本興業を経て独立。独自のコミュニケーションスキルを開発・体系化し、政治家のスピーチ指導や、一部上場企業を中心に年間100本近くのビジネス研修、組織改革プロジェクトに携わる。研修でのビジネスケーススタディを歴史の事象に喩えた話が人気を博す。尊敬する作家は柴田錬三郎。2019年7月には日テレHRアカデミアの理事に就任。また、演出家としてテレビ番組のプロデュースの他、最近では演劇、ロック、ダンス、プロレスを融合した「魔界」の脚本、総合演出をつとめる。

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