鳥居元忠、1800人で4万の軍を凌いだ苛烈な13日 関ヶ原の戦い前哨戦で命を賭して時を稼いだ忠臣

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しかし、このときの家康は、その年齢、実力、かつては織田家と対等の同盟者であったという事実もあり、あっという間に権力を我が手に集中します。家康は秀吉と同じく、政権内での抗争から合戦を引き起こし、豊臣政権から徳川の政権への移行を画策します。

家康はあえて秀吉の遺言を無視する形で、周りを挑発します。さらには浅野長政、前田利長の謀反の噂を立てるなど、抗争を煽ろうとしますが、家康と他の大名との力の差があまりにも大きく、なかなか家康が望むような合戦にまでは発展しません。

NHK大河ドラマ『どうする家康』 中村七之助 石田三成、吹越満 毛利輝元、柳俊太郎、宇喜田秀家
石田三成は、家康から豊臣の天下を守るべく挙兵しました(画像:NHK大河ドラマ『どうする家康』公式サイト)

家康の挑発に乗った上杉景勝と石田三成

そんな中、ついに家康の挑発にのる大名が現れました。五大老のひとりである上杉景勝です。家康はすぐさま上杉征伐を決定し、その準備をはじめます。

1600年6月、家康は諸将を集め上杉征伐に出陣します。このとき家康の留守を任されたのが元忠でした。元忠は、伏見城の留守居役となります。手勢が3000人だったので、家康が兵を多く残せないと謝ると、元忠は、

「天下を取るためにはひとりでも多くの手勢を」

と言い、

「なにかあれば自分は討ち死にする覚悟ができている」

と告げます。

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