便意と尿意が転機?「徳川家康」のまさかの歴史 23年の大河ドラマ「どうする家康」も話題に
そんなとき、家康さんは「もう終わりだ。せっかく今川家で武功をあげて出世して、偉くなろうと思ってたのに。大将討ち取られて最悪だよ。ああ、どうしよう」なんて急にテンション下がって、切腹しようなんて言い出しちゃいます。結果的に止められて、生きのびるんですけどね。
その後、今川家はもうだめだなということで独立した家康さん。織田信長さんと同盟を結んで、さらに勢力を広げていきます。そんなあるとき、信長さんに招かれて安土城に行ったんです。
その帰りに「せっかく安土まで来たんで、ちょっと京都とか大坂を観光しようかな」なんてぶらぶらしてるうちに、信長さんが明智光秀に討たれる、本能寺の変が起こります。
何かにつけて切腹を考える家康
そのとき家康さんがいた和泉国(現在の大阪の一部)の堺は、本能寺とは目と鼻の先です。「これやばいぞ。次は近くにいる自分が光秀に狙われるんじゃないか」とビクビク。「ああ、もう終わりだ。俺も光秀に殺されるんだ。だったら、そうだ。切腹しよう」と思いつくわけですね。さすがにこのときも家臣になだめられて、なんとか自分の岡崎城まで船で帰ったんですけど。
その後、明智光秀を討って天下を取った豊臣秀吉に従っていた家康さん。秀吉の死後、天下分け目の戦、関ヶ原の戦いに勝ち、ようやく自分の天下というタイミングで豊臣家の残党を滅ぼすために、大坂の陣という戦をします。家康さんは「今後は俺の天下だから、味方になるよな」と、全国の大名を集めて、豊臣秀頼のこもる大坂城を囲むんですね。
そんな中、豊臣方の真田信繁(幸村)が隙を突いて家康の本陣に攻め込んできたんです。まさか自分が攻められるなんて、夢にも思っていない家康さんですから、まだ全然有利な立場なのに「ああどうしよう。もう終わりだ。切腹しよう」ってなっちゃうんです。ここでも、また生きながらえますが、何かにつけて切腹しようとしがちな家康さん、ちょっと情けないですよね。