便意と尿意が転機?「徳川家康」のまさかの歴史 23年の大河ドラマ「どうする家康」も話題に
秀吉政権の下で三河国を治めて力をつけていた家康さん。秀吉さんは、自分の本拠地である大坂の近くに家康がいることを「ちょっと怖いな」と感じていたんですね。そこで家康さんに「領地替えで江戸に行ってもらえないかな」とお願いしようと考えるわけです。
東京が生まれたまさかの背景?
ただ、今の東京は非常に栄えていますが、当時の江戸はまだまだ田舎。湿地帯みたいな本当に何もない場所だったんですね。そんな田舎に「行ってくれ」と言われても、家康さんとしては正直全く美味しい話ではない。そこで秀吉さん考えました。
どうしたら説得できるかな、と。「そうだ、やっぱ、心を開いて話すためには立ちションだ」と思いついて、家康を誘って立ちションしながら、「あの……(じょぼじょぼじょぼ)。すまないんだけども(じょぼじょぼじょぼ)。江戸行ってくんない?(じょぼじょぼじょぼ)」なんて話をしたんですね。
家康さんも、もちろん納得したわけではないんですが、「断ると後が怖いな」と思ったのかもしれません。提案を受け入れて、江戸に移って開発していったんです。その結果、後に幕府が生まれて、東京という街につながっていく。つまり、2人の立ちションがなければ、今の東京はなかったかもしれない、というわけなんです。
生まれてから数々のピンチを切り抜けてきた徳川家康さん。ケチやヘタレという損な性格によって、逆転できたといえるのかも!?
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら