「死ぬのが怖い人」に足りない、たった一つの視点──恐山の禅僧が語る「生き切る技術」

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南直哉氏
かつて大手百貨店に勤めながら、26歳で出家。永平寺での修行を経て、現在は青森・恐山菩提寺の院代を務める南直哉(みなみ・じきさい)氏。異色の禅僧が本稿で語るのは、「死」と「長寿」、そして「生の意味」だ。
90歳を超えて生きることは、果たして理想的な死に近づくことなのか。身体の丈夫さ、規則正しい生活、温かな人間関係──それらを満たしても、なお私たちは死の不安から逃れられない。
誰もが避けられない「死」に静かに切り込み、「生」を見つめる。宗教でも哲学でもなく、「生き方」から考える「生き切る技術」とは?
*この記事は南氏の著書『「死」を考える』から一部抜粋したものです。

90歳を超えて「死に慣れる」方法とは

90歳を超えて生きる、いわば「死に慣れる」方法は、ある意味、理想的な死を実現できそうではあるが、実はこれもそう簡単ではない。

無論、生まれつき頑健な体の持ち主であることは当然の前提なのだが、だからと言って、それだけで誰でも90歳を超えられるわけではない。

とりわけ、男性が難しい。私の経験では、達成できる男女の比率は1:9、よくて2:8が実感である。

一説では、人間の生涯に必要なエネルギーは性差にあまり関係なく、男性は短時間に大きいエネルギーを放出できる身体構造(瞬発力重視)を持ち、女性は長期間エネルギーを保持する体(持続力重視)になっているのだという。それが寿命に出るわけだ。

人類誕生以来長きにわたって、食料調達と外敵の排除を男性が主に担い、子の出産と養育の多くが女性の役割だったとすれば、この違いは腑に落ちる話である。

丈夫な体の持ち主であることの他に非常に重要なのは、規則正しい生活をしているかどうかである。長寿の人は、多くの場合、若い頃はともかく、中年以降ある時期から、かなり規則正しい暮らしをしている。

特に重要なのは、起床と就寝の時刻、そして朝昼晩3食の時刻である。これがほぼ決まっていて、容易に変えない。特に高齢期に入ると、食材は多彩であるにしても、食べるものが決まっているケースも多い。つまり、食べ慣れたものを食べている。

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