「死ぬのが怖い人」に足りない、たった一つの視点──恐山の禅僧が語る「生き切る技術」
なすべきことをなし終えたとき、死は「休息」になる
このアイデアには、モデルになる人物がいる。ずいぶん前、新聞記事に、ある高齢男性の事故死が報じられていた。
その人は、休日でない限り、雨の日も風の日も、毎日近所の小学校の通学路にある横断歩道に立ち続け、30年以上、児童の見守り活動をしてきたのである。そこにある日、飲酒運転の車が突っ込んできて、彼は亡くなってしまった。
実は、彼は40歳を過ぎた頃、次女を交通事故で失っていた。彼は考えた。大事な人がこんな惨い目に遭い、家族は悲しみのどん底に突き落とされるようなことが、もう二度とあってはならない。そこで、ある朝、突如として横断歩道に彼は立ったのである。
これが損得で行われたはずがない。褒められたくて始めるわけがない。たった一人で立ち始めた人間に、友達が要るだろうか。
そうではない。毎日一人で立ち続ける彼を見て、やがて自分も協力しようかと、少しずつ人が集まり出し、結果「見守り隊」のごときつながりができたのだ。
この人は、もし事故に遭わなかったら、おそらく足腰が立たなくなるまで、見守を続けただろう。そして、ついに立つことができなくなった日、できることだけはやった、これで娘に顔向けができる、と思ったかもしれない。
私は、これがゴータマ・ブッダの最期に一番近い死の受容の仕方だと思う。
経典には、余命わずかとなったブッダが最後の直弟子に語る言葉がある。
「スバッタよ。わたしは29歳で、何かしら善を求めて出家した。スバッタよ。わたしは出家してから50年余となった。正理と法の領域のみを歩んできた。これ以外に〈道の人〉なるものは存在しない」
――『ブッダ最後の旅』150頁 岩波文庫
この言葉は、だから自分は凄いだろう、ということを言っているのではない。そうではなくて、「自分は、自らなすべきだと信じたことを、将にいまなし終えた」と言っているのだ。
この実感は何もブッダや横断歩道に立った男性に限らない。それぞれの仕事や職業で、「なすべきことはなし終えた」と心から思えた人にとっては、死はおそらく「休息」なのだろう。満腹になった者が食べるのをやめるのに躊躇がないように、全力で疾走した者がついに減速して立ち止まるように、その人は死を受容するだろうと、私は思う。
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