新社長はVTR部門の総指揮官
1986(昭和61)年1月20日、松下電器は電撃的な社長交代を発表。 新社長の谷井はVTR部門の総指揮官として修羅場をくぐってきた男である。 “アクション61”で松下はどう変わるのか。
―― 谷井さんはミスター「VTR」とか「VTRの谷井か、谷井のVTRか」と言われていますが、そもそもVTRとの出会いはどんなところから。
谷井:ちょっとオーバーですよ。 私個人としては、松下に入社してからいろいろとやってきましたが、ビデオを担当する前はオーディオ関係のテープレコーダーの事業部長をしておった。 ビデオにかわりましたのは、昭和47年の暮れでした。
当時、VTRはポスト・カラーと言われたり、5000億円産業と盛んに言われたものの、なかなかそうならなくて、何回か挫折の悲哀を味わってきたときです。その時期に松下としても、いよいよVTRの時期がきたんじゃないか、積極的にやっていく時期だというトップの判断で、VTR専門の本部ができ、事業部長を私が担当しろということになったわけですよ。
―― 松下としては、そのころからVTRに相当力を入れるというトップの意思はあったわけですか。
谷井:もちろんビデオの歴史はそれ以前からありました。 昭和30年代の初期から研究所でいろいろと勉強しており、41年に、社内的には事業化の決意をして、事業部をつくっている。 それから47年ですから、約6年ないし7年で事業部という事業体としての形は成したが、非常な苦難の時期が続いた。 第一次苦難期です。
松下の取り組みは早かったと思いますけれども、世に顔を出してきたのが、ソニーさんのベータマックスが一番早かったですね。
これが52年の秋ごろだったと思います。 私どもがVTRを商品として出したのは、その翌年の春でした。
ベータ、VHSが出てくる前に、我々も3/4インチを中心に、これの家庭用を考えたわけです。それが結果的には、まだまだ3/4インチという家庭用の仕掛けではなかったんですね。 価格の問題にしても、また技術的、操作技術的な面にしても。
同時に、そのときに折悪しくオイルショック。 我々のビデオはそこで経営的にがくんと打撃を受けた。 それで岡山時代が始まるんですね。 それから53年のVHSにつながっていくというストーリーです。






















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