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〈アーカイブ〉谷井昭雄氏が1986年の社長就任時に語った危機感、「 素晴らしいのは幸之助であるし、ある時期の松下だった」

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1986年から93年まで松下電器産業社長を務めた谷井昭雄氏。現在のパナソニック社長である楠見雄規氏が入社したときの社長だ(写真:東洋経済写真部)

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パナソニックの楠見雄規社長は「(自分が)入社したころは非常に活気があった」と振り返る。
ここで紹介するのは、『週刊東洋経済』(1986年3月1日号)に掲載された、就任したばかりの谷井昭雄社長(在任86-93年)へのインタビュー。楠見社長が入社した89年当時の社長が谷井氏である。
当時は苦心の末に花開いたVTR(家庭用ビデオ)が世界で稼ぎまくっており、インタビューは明るさに溢れている。一方で、「松下は優良企業だ、松下はすばらしいとか、そういう意味での神話が蔓延すると大変なことになると思いますね」「今までは67年間成長してきたけれども、大きいことは必ずしもよくないんだ、大きいことは時に非常に危険なんだ」と慢心を戒めている。

新社長はVTR部門の総指揮官

1986(昭和61)年1月20日、松下電器は電撃的な社長交代を発表。 新社長の谷井はVTR部門の総指揮官として修羅場をくぐってきた男である。 “アクション61”で松下はどう変わるのか。

東洋経済のアーカイブを紹介。本連載の一覧はこちら

―― 谷井さんはミスター「VTR」とか「VTRの谷井か、谷井のVTRか」と言われていますが、そもそもVTRとの出会いはどんなところから。

谷井:ちょっとオーバーですよ。 私個人としては、松下に入社してからいろいろとやってきましたが、ビデオを担当する前はオーディオ関係のテープレコーダーの事業部長をしておった。 ビデオにかわりましたのは、昭和47年の暮れでした。

当時、VTRはポスト・カラーと言われたり、5000億円産業と盛んに言われたものの、なかなかそうならなくて、何回か挫折の悲哀を味わってきたときです。その時期に松下としても、いよいよVTRの時期がきたんじゃないか、積極的にやっていく時期だというトップの判断で、VTR専門の本部ができ、事業部長を私が担当しろということになったわけですよ。

『週刊東洋経済』(1986年3月1日号)の88-92ページに掲載された谷井昭雄氏への編集長インタビュー

―― 松下としては、そのころからVTRに相当力を入れるというトップの意思はあったわけですか。

谷井:もちろんビデオの歴史はそれ以前からありました。 昭和30年代の初期から研究所でいろいろと勉強しており、41年に、社内的には事業化の決意をして、事業部をつくっている。 それから47年ですから、約6年ないし7年で事業部という事業体としての形は成したが、非常な苦難の時期が続いた。 第一次苦難期です。

松下の取り組みは早かったと思いますけれども、世に顔を出してきたのが、ソニーさんのベータマックスが一番早かったですね。

これが52年の秋ごろだったと思います。 私どもがVTRを商品として出したのは、その翌年の春でした。

ベータ、VHSが出てくる前に、我々も3/4インチを中心に、これの家庭用を考えたわけです。それが結果的には、まだまだ3/4インチという家庭用の仕掛けではなかったんですね。 価格の問題にしても、また技術的、操作技術的な面にしても。

同時に、そのときに折悪しくオイルショック。 我々のビデオはそこで経営的にがくんと打撃を受けた。 それで岡山時代が始まるんですね。 それから53年のVHSにつながっていくというストーリーです。

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