高市早苗政権が重用した経済アドバイザーらが「財政出動に積極的なリフレ派」(以下『財政リフレ派』と略称)と称されている。過去、四半世紀ほどの金融政策論議をウォッチしてきた筆者にとって、かなり違和感を覚える名称である。
なぜなら、本来の「リフレ派」は財政出動による景気押し上げには否定的であるからだ。つまり、「財政リフレ派」と「リフレ派」は似て非なる存在なのだ。
日銀政策委員会で展開された議論を踏まえ、両派の違いを解説してみたい。
「ゼロ金利で無策」に反論した審議委員
金融政策運営における「リフレ派」の源流をたどると、改正日銀法が施行(1998年4月)され、速水優総裁(故人)が率いた時代にさかのぼる。
当時、97年秋に勃発した金融危機の余波を受け、経済は深刻な不況に陥っていた。政策金利はすでに空前の低水準に落ち込んでいたが、「運用部ショック」で長期金利が急騰した事態を受け、日銀は99年初頭にゼロ金利政策に踏み切った。この時点で、金融政策の緩和手段は尽きた、との見方が支配的だった。
しかし、金融政策を議論・決定する政策委員会で、1人の審議委員が積極的な緩和を主張した。元東燃社長の中原伸之氏(故人)だ。
一般的に産業界で実業に関わった審議委員にとって、金融政策はかなり遠い存在だ。キャッチアップにかなり苦労するテーマである。ところが、東京大学経済学部を卒業後、ハーバード大学に学んだ中原氏は経済への造詣が深かった(国際的な業績を挙げた若手学者に与えられる日本経済学会・中原賞は、中原氏の寄付で創設された)。




















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