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「普通」になれない日銀、為替介入の「次の出番」 総裁会見で円安が加速し、首相に怒られ案件?

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異次元緩和に幕引きした3月の記者会見で、植田総裁は今後の金融政策を「普通」と称した。過去も未来も、現実は異なる。

4月26日の総裁会見で「円安は物価に大きな影響を与えていない」と述べ円安が加速したが、連休明けの発言には変化も(写真:Bloomberg)
※本記事は2024年5月11日6:00まで無料で全文をご覧いただけます。それ以降は有料会員限定となります。

「金利を動かして経済・物価を安定化させる」のは、教科書的な「普通の金融政策」だ。3月19日の金融政策決定会合で、マイナス金利を解除し、政策金利をプラスにした日銀はやっと「普通の金融政策」に戻ったとも言える。

ただし、過去を振り返ると、日銀は「普通の金融政策」を運営した実績はほとんどない。金利規制がない自由な金融システムにおいて、独立した金融政策で経済・物価の安定化を図るのが「普通」だとすれば、ほとんど幻影に近いかもしれない。

かつて「普通」になりかけた時期もあるが、為替への隷属を強いられた。今回も同様の運命をたどる、と懸念される。

1990年前半に訪れかけた「普通」

「普通の金融政策」を少し詳しく説明すると、金利規制の撤廃で金融が自由化された中、市場の資金を供給・吸収する公開市場操作(オペ)を通じた金利誘導を軸足にして経済・物価を安定化させる、というものだ。

この観点で近代の金融史を振り返ってみると、日本で金利規制が完全になくなったのは1994年の「普通預金の金利自由化」だった。一方、日銀の金融政策も長らく、市場金利よりも低い公定歩合で銀行に対して裁量的に貸し出す「窓口指導」が主力となったが、それが廃止されたのは1991年だった。

金利規制の自由化や金融市場の発達で金融機関や企業の資金調達手段が多様化し、「窓口指導」が有効性を失い、オペによる金利誘導が重要性を増した経緯は、雨宮正佳日銀副総裁(2019年当時)の講演『日本の経験と中国―金融政策と金融システム―』が詳しい。

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