福の権力の源泉は、もちろん3代将軍・家光にありました。祖父・家康、父・秀忠は戦国時代を生き抜き、そして天下統一を果たしたわけですが、家光は戦に出ることもなく将軍となります。
江戸幕府は、まだまだ不穏な情勢を脱しておらず家光の器量次第という状態でした。現に島原の乱など、下手をすると全国に飛び火しかねない大事件もありましたが、家光は強権をもってこれを封じ込めます。
福はまさに家光にとっての母
生まれ持っての最高権力者としての強さを見せつけた統治スタイルは「武断政治」と呼ばれるように。その一方で家光は精神の不安定さを見せることもあり、そうした弱さを福がカバーしていたと思われます。
福は家光の疱瘡治癒祈願をした際、自分自身の薬を一切断ちました。最晩年で病床に臥した際も薬を拒否したため、家光自らが薬を飲ませたとあります。
福はまさに家光にとっての母だったのでしょう。一方、福にとっては、家光は生涯をかけた作品であったのかもしれません。
信長の時代に後継者である信康を失った家康は、その信長を葬った男の娘によって、真の後継者を得たのかもしれません。
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