日本では文禄の役とよばれる朝鮮出兵は、秀吉には明が降伏の意志を示したということで報告され、明側には秀吉が降伏したとの報告が成されるという前代未聞の虚偽報告によって和睦が成立します。
最大の問題は、この虚偽報告に石田三成ら豊臣官僚が関わっていたことでした。秀吉に戦況を正確に報告する役割をもつ三成らが虚偽に関わったことにより、この後、秀吉にまともな報告があがることはなくなります。
また、彼らは秀吉が戦場に赴いて現状を把握することを恐れたため、全力で秀吉の直接指揮を阻止。秀吉は、まさに“裸の王様”となりました。
2度目の朝鮮出兵は被害甚大だった
嘘で固めたうえでの和睦ですから、すぐに破綻を迎えます。秀吉は明が降伏したと思い込んでいたのですから、明が従属しないとわかると激怒して再び外征を決定します。
最初の外征の際には、純粋に領土獲得の野心をもった武将もいたようでしたが、さすがに2度目となると諸将には最初から厭戦気分が蔓延していたようです。それでも互いに甚大な損害を出しつつ、結局、秀吉が死ぬまで凄惨な戦いは続くことになりました。
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