大坂冬の陣では奮闘をした大坂方でしたが、実際の戦闘では茶々の忌まわしい記憶を呼び起こします。また互いの兵糧も尽きたことから、いったん和睦となります。ここが最後のチャンスでした。
家康の要求は「牢人の解雇」「大坂からの国替え」「淀殿の人質」。
これらの条件さえのめば、少なくともしばらくは豊臣家の命脈は保てた可能性はありました。しかし大坂方は拒否します。
茶々をのみ込む3度目の落城
これは私の推測ですが、この拒否は茶々の意見というより、牢人たちの強い反対にあい、彼らを制御できなかったのが原因ではないかと思われます。
無理に牢人たちを解雇すれば、彼らが茶々や秀頼の命を奪うことを懸念していたのではないでしょうか。
武士として生きた証しを刻むための最後の勝負に出る牢人たちの夢に引きずられるように、茶々は大坂夏の陣で3度目の落城に遭い、命を落とします。
茶々の遺体は秀頼とともに炎に包まれ、発見されることはありませんでした。彼女もまた、秀吉の「浪速の夢」だったのかもしれません。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら