このころから茶々は「気うつ」が激しくなります。現代で言うところのうつ病で、おそらく将来の不安から生じたものだと思われます。彼女は頼るべき人が誰もいませんでした。
2度の落城を経験した彼女にとって、秀吉がつくった難攻不落の大坂城と自身の存在価値の源である息子・秀頼だけが信じられるものだったのです。
結果、彼女は秀頼を大坂城から一歩も出させず、天下の情勢からも目をそむけることになります。茶々にとっての「天下人」は自分と秀頼の安全を保障するものでしかなく、そこには何のビジョンもありません。孤独な茶々の心情を想うと胸が痛みます。
不安が誘う破滅への道
一方の家康は、基本的には豊臣家との融和姿勢をみせていました。秀吉の遺言通り孫娘の千姫を7歳で嫁がせ、当初は徳川政権内での豊臣家の存続を考えていたようです。しかし、そのためには豊臣家が正式に徳川に臣従し、また豊臣の天下の象徴である大坂城から出ることも必要でした。
しかし、大坂城は茶々にとって安全の証しであり、それは受け入れられないことです。つまり大坂の陣を通じて彼女の政治的姿勢は「大坂城から一歩も出ない」。これしかありませんでした。
結局、彼女は不安のあまり、大坂城の安全をさらに強化するために、真田信繁、後藤又兵衛、長宗我部盛親など著名な牢人を大量に抱えます。大坂城に武力を加えることによって安全を確保しようとしたのです。結局、これが家康に大坂攻めを決意させる要因になりました。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら