「なんちゃって探究」「やらされ探究」…"非本質的な探究学習"で大学の先生たちが悲鳴を上げている《大学、行政、中学・高校が協力して解決を》

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図書室のパソコンを使う高校生
中学・高校で行われている「探究学習」で、生徒から大学の教員や研究者たちへのコンタクトが増え負担になっている…(写真:【Tig.】Tokyo image groups / PIXTA)

前編では、中学・高校で行われている「探究学習」が、大学の教員や研究者たちの負担になっていることについて、生徒・中高教員・大学教員や研究者それぞれの視点から、この問題がどのように見えているのかを紹介した。

後編では、どのようにすればお互いが理解し合い、よい方向に持っていけるのかについて、大学の研究者へのヒアリングをベースに考えてみた。

高校生は研究してはならないのか?

そもそも「探究」と「研究」は違うものであり、中高の探究活動で「研究者」へのアクセスを要求することは必ずしも必要ないように思えるが、中学生や高校生に「研究」が不要だと言い切ることにも無理がある。

県立高等学校のC教諭が「高校までに育てることは、何かを面白がる好奇心であり、研究の土台をつくること」と言う通り、高校に研究は「必須」ではないが、研究をやりたいと考えていたり、研究の資質がある生徒たちが、健全に高等教育にアクセスできる環境を整えていくことも大切なことではないだろうか。

研究は本質的にグローバルな営みであり、国際的な研究競争力を確保するという観点からも、日本において研究者が持続的に育成される環境の整備については、中等教育段階からの検討を欠かすことはできない。

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