「なんちゃって探究」「やらされ探究」…"非本質的な探究学習"で大学の先生たちが悲鳴を上げている《大学、行政、中学・高校が協力して解決を》
24年1月、奈良教育大学附属小学校で、学習指導要領に沿わない授業内容や履修漏れなどが長年続いていたことが報じられ、文科省は国立大学の附属学校に点検を求めた。
しかし、指摘された不適切事項は、「毛筆による書写」において書道筆ではなく筆ペンを使っていたことや、国歌「君が代」の指導が6年のみだったこと、ローマ字で書くことが3年次のものであったにもかかわらず、3年と4年で指導していたことなどであった。
このように、学習指導要領を事実上の法規であるかのように扱い、現場の教育内容の専門的裁量に介入するのであれば、学び手の主体性を重視し、自ら問う態度、自由な実践を志向する「探究学習」などできるはずもない。「主体的で自由な学びを」と一方でいいながら、こうした介入をするのであれば、ダブルスタンダードにほかならず、現場は安心して実践に取り組めない。
結果として現行の学習指導要領に掲載されている「探究における生徒の学習の姿」の図が「正しい探究」として認識され、「何が探究なのか?」と問われることもなければ、探究の歴史的な系譜や、海外実践との比較分析なども十分になされないまま探究サイクルの穴埋め問題のような実践が量産されている。
つまり「探究学習」の形骸化が進む。そのうえ、上述のように何が「望ましく」、何が「望ましくない」のかを恣意的に判断するような行政介入がされるのであれば、現場が混乱したり、行政指導を回避する型にはまった非本質的な実践にとどまってしまっても責められないだろう。
実際に奈良教育大学附属の報道当時、「探究学習」を推進していた全国の教師たちは文字どおり、震え上がっていた。
◎探究における生徒の学習の姿
今の公立学校の教員に余裕はない…
さらに現在、教師が授業以外にも多くの役割を担わされ、長時間労働が当たり前の「働き方」が問題となっている。高橋氏によると、戦後から1970年代ごろまで、公立教員であっても週1日くらいは研究日がある自治体があり、その後も授業に支障のない範囲で勤務時間内でも校外での自主的な研修が許されていた。
しかし、今の公立学校の教員にそうした余裕はない。高校教員は小中学校の教員よりは、時間的な調整がつけやすい状況にはあるが、探究学習の単元設計や指導はマインドセットの改革を伴うハードなものであるにもかかわらず、それらの習得に向かう環境は整っていないと指摘する。
筆者が見るところでも、教師個人の体力や職場環境、それまでの経験や管理職などのサポートによりよい実践ができている教師がいないわけではないが、全国的に見ると「探究」が何かもわからず、しかし何らかの結果を出したように「みせなければならない」というプレッシャーの中で右往左往している学校や地域は多い。


















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