「なんちゃって探究」「やらされ探究」…"非本質的な探究学習"で大学の先生たちが悲鳴を上げている《大学、行政、中学・高校が協力して解決を》
結果として、リソースの調整が比較的容易な都市部の私立学校や自治体のサポートがある地域では探究学習が進み、総合型選抜において有利な状況が生まれている。
一方で、情報から取り残された地方の公立学校で取り組みが遅れがちな現状もあり、教育機会の平等性の観点からも看過できない問題となっている。
大学、行政、中等教育が協力して模索すべき
中学・高校で行われている「探究学習」が、大学の教員や研究者たちの負担になっていることについては、学習指導要領における「探究」概念が説明不足のまま導入されたこと、また大学入試改革による急激な高校生の学習環境の変化によって起きた過渡期的問題である。
しかし、ペーパーテストだけで大学進学が決まった時代よりも、推薦型、総合型選抜と入学ルートが多様となったことそのものは、歓迎すべき変化として受けとめてよいのではないだろうか。
良質な探究もしくは研究を中高時代に経験した学生ほど、大学入学後に高いパフォーマンスを示すという実感は、多くの大学教員に共有されている。そのことが、総合型選抜の拡大を後押ししている要因の1つになっているとも言ってもいいだろう。
問題は、非本質的な探究学習が広がっていることや、目的と手段を履き違えたような「探究のため」の大学教員へのコンタクトである。
一方で、大学のアドミッションが、単なる賞の数や研究者との連携の有無、課外活動の量だけで合否を判定し、例えばアメリカのように、パーソナルエッセイなどで、個々の応募者の自己分析を丁寧かつ真摯に評価する体制を構築していないのであれば、中高の教員だけを非難するのも妥当性に欠くだろう。
一生懸命研究の準備をしてコンタクトするにせよ、教員から促されて渋々連絡するにせよ、大学から無視されたり、あしらわれたりする中高生が昨今増えていることにも鑑みると、単に中高教員を責めるのではなく、ましてやコンタクトしてきた生徒を責めるのでもなく、大学、行政、中等教育それぞれが、この問題について現状を正確かつ構造的に把握し、お互いにとってよい方法を協力して模索することは喫緊の課題である。
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