「真田信繁」家康に自刃を覚悟させた日本一の兵 49歳でようやく満天下に力を示し散った義の知将

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そして信繁が再び世に出るまでに、14年もの月日が流れます。父・昌幸は3年前に亡くなっていました。

十数年過ごした九度山における信繁は、地域の人々と積極的に交わって狩りを行い、夜は兵書を読み耽り、父・昌幸からも兵法を学ぶなど、来るべき日に向けて準備を怠らなかったようです。

兄・信之は、弟・信繁を「辛抱強く物静かな男」と評しており、不遇の中でも自暴自棄に陥ることなく、やるべきことを淡々と行う知将の風格を感じさせます。

大坂冬の陣で鮮烈な印象を残す

大坂城に入城した信繁でしたが、その評価は当初は微妙だったようです。

徳川と戦って2度も勝利を経験したとはいえ、その評価は父・昌幸のものであり、息子の信繁の実力は知られていませんでした。

むしろ兄・信之が徳川方にいることもあり、寝返りを警戒されるありさまだったようです。信繁は籠城ではなく、瀬田で幕府軍を迎え撃つ策を立てます。この策は後藤又兵衛らの浪人衆には支持されますが、大野治長ら豊臣家の重臣たちには否定されました。

もしも、この策を昌幸が献策していたら、あるいは受け入れられたかもしません。しかし実績のない信繁の発案では見向きもされませんでした。しかしながら籠城と決したあとも、信繁は腐らず、大坂城の唯一の弱点とされる玉造口に「真田丸」という出城をつくります。

そして、いよいよ開戦となると、この真田丸で幕府方を散々に打ち破りました。この戦で、ついに満天下に真田信繁という逸材の存在を見せつけます。信繁は、すでに50歳間近でした。いわゆる大坂冬の陣での出来事です。

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