秀吉に服従せず守りを固める北条
立場が変われば、とるべき行動も変わる。
豊臣秀吉に恭順の意を示すことに抵抗し続けた徳川家康だったが、ついに上洛して天正14(1586)年10月27日に秀吉への臣従を約束。すると一転して、北条氏に上洛を促す立場となった。
というのも、北条氏もまたかつての家康のように、秀吉からの再三にわたる上洛要請を突っぱねていたからだ。当時の当主は北条氏直だが、実権はその父である北条氏政が握っていた。
家康にとって北条氏は同盟相手であり、家康の娘である督姫は、当主の北条氏直に嫁いでいる。その一方で、家康は秀吉から関東における諸事を任されており、北条氏を説得する役割を担っていた(前回記事「秀吉に従った家康に課された「あるミッション」参照)。


















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