さらに、他人同士が一緒の風呂に入るリラックス効果も見逃せない。
え、一人の方がリラックスできるんじゃないかって?
いやー、それが違うんだな。私の通う銭湯は決して混んではいないので、気づけば皆上がってしまって「客一人」という状況になることがままあるんだが、そのような時、常連の皆様は必ず「あら、寂しくていやだわ~」とおっしゃる。
最初、それを聞いた私はやはり「一人の方が気楽なんじゃ……」と思っていたんだが、気づけば今や、一人になりそうになると「えーやだー」などと言っている自分がいるのである。
なんでしょうねこれ。つまりは人というものは、気持ちのいいことは、独り占めするよりも、誰かと分かち合いたいと思ってしまう心優しい生き物らしいのである。
なので、その幸せを求めて近所のおばあさんたちはせっせと銭湯にやってくる。行き帰りが適度な運動になるのはもちろん、そこで顔見知りと会い、たわいもないおしゃべりをすることで、いろいろあるであろう人生の1日を何はともあれホッとして終えたい気持ちは私にもわかる。
つまりは我らは銭湯に来ることで、実にやすやすと楽しく心身の健康を手に入れているのだ。
そんな日々を過ごしているとですね、ふと、関西では誰もが知っている有名な豚饅頭のコマーシャルが頭に浮かぶのであった。豚まんが「ある時」は全員が笑顔でキャッキャと騒いでいる。でも「ない時」は、誰も口をきかずドヨーンと下を向いている。この豚まんは、私の頭の中では銭湯に置き換わっている。
それほどまでに、「銭湯に通っている人」と「通っていない人」の間には実に大きな差があるのではないかと思う今日この頃である。
理由3:日々同じことをする幸せを知る
こうした「銭湯の幸せ」はですね、「このまえ話題の銭湯に行ってみました」というようなことで得られるものではない。同じ銭湯に通い続けることで初めて得られるものだ。
つまりは地道に、慌てず、マイペースで、着々とコトを運ぶことで初めて果実が得られるのである。そこには近道もズルも存在しない。効率や生産性とはほど遠い行為が求められるのである。
言い換えれば、銭湯の幸せを享受するためには、特別な才能や才覚などはまったく不要。誰だってできる、「銭湯に通う」というひたすら同じことをやり続ければ、かならず結果が返ってくるのだ。
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