いやもちろん、裸になって大きな湯船にポチャンと浸かるという、一時のすばらしい娯楽もちゃんと提供してくれる。でも通い続けさえすれば、もっと総合的な、人生に必要なすべてを与えてくれる場所なのだ。
「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」という本がありますが、私に言わせれば幼稚園の砂場より近所の銭湯である。健康、美容、友達、そして生きるコツ……湯船にハァーと浸かりながら、人生そのものを明るい方向へとぐいと変えるものがことごとく手に入る。
すなわち、この連載で延々と書いている「お金に頼らず人生を楽しくする方法」を、最も手軽に実感できる場所の一つが銭湯なのである。
銭湯の消滅は「国家的損失」!
ところがですね。あろうことか銭湯は急激な勢いで減り続けている。
すでに地方の銭湯は壊滅的な状況で、人口集積地帯である東京においても、私が知っているだけで最近また2軒の銭湯が廃業した。後継者不足などそれぞれに事情はあるのだろうが、いずれにせよ、銭湯に通う人が減っていることが根本原因であることは間違いない。
確かに、昔と違って「風呂なし」の家などほとんどない時代ゆえ、わざわざ歩いて外の風呂へ行く人が減るのは当然と言えば当然と言えよう。
だが、かつて家風呂に嬉々として入っていた身から言わせていただければ、家に風呂があるから銭湯に行かないなどというのは、人生の損失以外の何物でもないと思う。それが証拠に、わが銭湯仲間たち(近所の常連さん)のほとんどは、家に風呂がないわけではないのだ。
それでもわざわざ、歩いたりバスに乗ったり自転車に乗ったりしてせっせと銭湯にやってくる。で、「ここに慣れちゃったら家のお風呂なんて入れないわよねー」と皆、口をそろえる。つまりはですね、それほど、家の風呂と銭湯というのは、同じ風呂というカテゴリーにくくるのもどうかと思うほど、まったく違う存在なのだ。
だが、残念ながらそれに気づいている人はごく一部というのが現実である。ほとんどの人が銭湯の良さをちゃんと知らないのである。昨今では銭湯と言えば「スーパー銭湯」と思っている人も多い。もちろんあれはあれで楽しい施設であること間違いない。
しかし私がお勧めするのは、すなわち人生を変えるポテンシャルを持っているのは、スーパーでもなんでもない、ごく普通の、昔ながらの銭湯である。
その良さが知られていないままでは、近い将来、銭湯というわが国が誇るグレートなインフラが消滅することになってもまったくおかしくなく、それは国家的損失だと私は思うのであります。っていうかそれ以前に、銭湯を「マイ風呂」と認定して生活している身にとっては、銭湯の存続は文字通り死活問題である。
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