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「間取り変更プラン」発案、女性営業1期生の証言。大京で鍛えられた経験が、その後のキャリアを支えた

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「伝説のマンション王国 大京」連載バナー

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大京──。1978年から2006年まで、29年の長きにわたってマンション発売戸数首位であり続けた企業だ。2000年代半ばに経営危機に陥って以降、業界でも有名な「猛烈営業」は鳴りを潜めたが、確実にマンションの一時代を築き上げた。その大京を連載で描くことは、日本のマンションブームの核心に迫ることでもある。

第1回:タワマンブームの源流「エルザタワー55」の全貌
第2回:川口タワマン「エルザタワー」 用地取得の全内幕
第3回:大不況を3度生き抜いた大京「鬼軍曹」が泣いた日
第4回:「青田売り&等価交換」で業界の常識を変えた大京
※第1回は、無料会員は全文をご覧いただけます

「女性営業の第1期生を募集いたします。」

転職情報誌『とらばーゆ』の大きな見出しに、杉本ゆかりと井上由美子は、目がくぎ付けになった。1986年夏の出来事だ。

「営業という仕事、決して楽な仕事ではありません」から始まる大京(当時・大京観光)の求人広告は、こう続いていた。「仕事を通して、自分をもっと成長させたいと考えている方には、これほどピッタリな仕事はないでしょう」。

その言葉に20代の杉本と井上は自分が主役として働く未来を見た。

女性の求人が中心の情報誌で女性営業を大募集。キャッチコピーは「できる女性が、増えています。」(1986年の転職情報誌『とらばーゆ』より)

優秀営業者に初の女性

男女雇用機会均等法の成立から1年。企業は、女性をどう戦力にするか、手探りだった。同じ夏、テレビでは「男女7人夏物語」が放送されていた。恋に揺れながら、都会で自由に生きる若者たちの姿が話題を呼んだ。恋も仕事も自分で選び取ることがカッコいい、そんな時代の空気を映していた。

当時の大京は新橋支店で女性営業社員を試験的に導入していた。「女性に不動産が売れるのか」「夜遅くまで働けるのか」。周囲の視線は懐疑的だった。

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