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川口タワマン「エルザタワー」 用地取得の全内幕 伝説のマンション王国・大京 第2回

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巨大なマンション用地を仕入れるための「あの手この手」。

「伝説のマンション王国 大京」連載バナー

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大京──。1978年から2006年まで、29年の長きにわたってマンション発売戸数首位であり続けた企業だ。2000年代半ばに経営危機に陥って以降、業界でも有名な「猛烈営業」は鳴りを潜めたが、確実にマンションの一時代を築き上げた。その大京を連載で描くことは、日本のマンションブームの核心に迫ることでもある。

「新入社員として入社した大京の営業部での日々なんて、まさに地獄でしたよ」

そう語るのは、大京の元取締役、夏目康広(現在は千代田地所会長)だ。かつてのトップ営業マンは低い声で、50年近く前の青年時代を振り返る。

「毎朝7時に出社し、夜の10時、11時まで働くのは当たり前。土曜日曜も休めない。というか、定休がありませんから。上司が来てね、突然言うんです。『おまえ、明日休め』、と。それが月に2〜3日あるだけ。疲れ果てているから休日は昼まで寝ています。私生活なんてないですよね。まぁ、昭和の時代ですよ」

1年後に残った同期は2割

夏目が入社したのは1977年。大京(当時は大京観光)は360人もの大量新卒採用を実施したという。当時の社員総数は800人程度だったというから異常な規模である。

そして翌78年、大京は4289戸のマンションを供給し、初めて供給戸数1位の座に輝くことになる。それ以降、2006年まで実に29年にわたって一度も王者の地位を譲らなかった。

「厳しい労働環境だから1年後に残っていた同期は70人くらい。2割ほどしか残らなかった。きっと、辞めてしまうのを前提に、たくさん採っていたのでしょう」。夏目は身をもって感じた過酷さを語る。だが、その表情は明るい。

夏目の実家は愛知県内の不動産業者。大学卒業後に入社した大京で不動産を勉強しながら、資格試験を目指そうと思っていた。父親からは不動産鑑定士の試験を受けろとけしかけられていた。そんなもくろみは、昭和の猛烈営業の前に、出社初日で消失した。

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