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大不況を3度生き抜いた「鬼軍曹」が泣いた日 大京を業界首位に押し上げた伝説の営業マンの半世紀

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大京──。1978年から2006年まで、29年の長きにわたってマンション発売戸数首位であり続けた企業だ。2000年代半ばに経営危機に陥って以降、業界でも有名な「猛烈営業」は鳴りを潜めたが、確実にマンションの一時代を築き上げた。その大京を連載で描くことは、日本のマンションブームの核心に迫ることでもある。

第1回:タワマンブームの源流「エルザタワー55」の全貌
第2回:川口タワマン「エルザタワー」 用地取得の全内幕
※第1回は、無料会員は全文をご覧いただけます

1968年、大京(当時:大京観光)がライオンズマンションシリーズ第1号の物件を分譲し始めた年、23歳の安倍徹夫が入社した。この若者が、やがて「大京の鬼軍曹」と呼ばれ、日本のマンション産業史に大きな足跡を残すことになる。

オイルショック、バブル崩壊、リーマンショックという3度の大きな経済変動を経験しながら、80歳を過ぎた今も、大京退職後に創業したマンションデベロッパー「アンビシャス」を率いている。浮き沈みの激しい業界にあって、半世紀以上にわたって最前線で活躍し続ける経営者は、安倍をおいてほかに見当たらない。

兄・安倍毅夫の勧めで不動産業界へ

安倍が生まれたのは1944年8月、千葉だった。程なくして両親の離婚により、兄・姉とともに北海道へ移住した。早稲田大学第一文学部を卒業した安倍は、北海道新聞の記者だった祖父の影響で新聞社を志望していた。しかし、入社試験に落ち、夢がかなわないまま就職活動に行き詰まっていた。

その頃、大京の創業者・横山修二の側近として知られ、後に大京・副社長を務める兄・安倍毅夫の勧めで、不動産業界への道を選ぶことになった。

安倍の入社当時、大京の主力事業は始めたばかりのマンション分譲と、創業期からの別荘地の分譲だった。安倍もまずは別荘地の営業にいそしむことになる。現場は厳しく、あてどもない飛び込み営業を繰り返した。営業マニュアルや研修など何もない時代だった。

「本社(東京・千駄ヶ谷)から調布まで(約20キロメートル)、甲州街道沿いを飛び込み営業して回れ!」。そんな指示ともいえないようなことを言われ、ひたすら靴底をすり減らしていた。

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