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大京の危機の起点「紀尾井町ビル用地」高値落札。バブルを招き、経営危機へとつながった

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高値落札は、バブルを招き、大京の経営危機へとつながった。

「伝説のマンション王国 大京」連載バナー

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大京──。1978年から2006年まで、29年の長きにわたってマンション発売戸数首位であり続けた企業だ。2000年代半ばに経営危機に陥って以降、業界でも有名な「猛烈営業」は鳴りを潜めたが、確実にマンションの一時代を築き上げた。その大京を連載で描くことは、日本のマンションブームの核心に迫ることでもある。

第1回:タワマンブームの源流「エルザタワー55」の全貌
第2回:川口タワマン「エルザタワー」 用地取得の全内幕
第3回:大不況を3度生き抜いた大京「鬼軍曹」が泣いた日
第4回:「青田売り&等価交換」で業界の常識を変えた大京
第5回:「マンション王国「大京」、女性営業第1期生の証言
※第1回は、無料会員は全文をご覧いただけます

東京・千代田区紀尾井町。爽やかなガラス張りの紀尾井町ビルが静かにたたずんでいる。この地が日本のバブル経済の象徴的な出発点となったことを知る人は少ないかもしれない。

今からちょうど40年前の8月、この地で、日本の不動産史上、最も衝撃的な数字がたたき出された。1坪(約3.3平方メートル)当たりの地価が2800万円に達したのだ。

それは1980年代後半から90年代初頭に日本列島を覆った不動産バブルの号砲になるとともに今に続く再開発狂騒曲の幕を開いた。

主役となったのは大京(当時の社名は大京観光)だ。思わぬ伏兵の登場が、時代の転換点を象徴する一幕となった。

「官から民へ」の大潮流

70年代のオイルショック後、日本政府は不況対策として赤字国債を発行。80年代に入っても赤字国債が常態化し、財政再建が課題となっていた。

82年に首相の座に就いた中曽根康弘は、1つの解決策を打ち出した。「民間活力の活用」──略して「民活」である。それまで国や自治体が担ってきた事業を、資金力とノウハウを持つ民間企業に任せようという発想だった。

米国のレーガン大統領、英国のサッチャー首相が推し進める「小さな政府」路線の日本版である。世界は「官から民へ」の大潮流の中にあった。

そして中曽根内閣は、国鉄、電電公社、専売公社を民営化し、JR、NTT、JTを発足させた。同時に公有地の民間開発も推進。その最初の大型案件が、千代田区紀尾井町にある旧司法研修所跡地、約2000坪の売却だった。紀尾井町ビルが建つ場所である。

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