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大京がのめり込んだオーストラリア事業、1000億円超投資の顛末。創業者・横山修二の壮大な夢

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「伝説のマンション王国 大京」連載バナー

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大京──。1978年から2006年まで、29年の長きにわたってマンション発売戸数首位であり続けた企業だ。2000年代半ばに経営危機に陥って以降、業界でも有名な「猛烈営業」は鳴りを潜めたが、確実にマンションの一時代を築き上げた。その大京を連載で描くことは、日本のマンションブームの核心に迫ることでもある。

第1回:タワマンブームの源流「エルザタワー55」の全貌
第2回:川口タワマン「エルザタワー」 用地取得の全内幕
第3回:大不況を3度生き抜いた大京「鬼軍曹」が泣いた日
第4回:「青田売り&等価交換」で業界の常識を変えた大京
第5回:マンション王国「大京」、女性営業第1期生の証言
第6回:大京の危機の起点「紀尾井町ビル用地」高値落札
※第1回は、無料会員は全文をご覧いただけます

それは、壮大な夢だった。

太平洋に面して、57kmに及ぶ海岸線が連なる、豪州(オーストラリア)最大にして世界的なビーチリゾート──ゴールドコースト。

中心地サーファーズパラダイスには白砂のビーチが広がり、背後には高層ホテル群が立ち並ぶ。良質の波を求めて世界中からサーファーが集まり、夜になればネオンが輝き、歓楽の渦が人々をのみ込んでいく。海と都市が同じ地平に溶け合う光景は、リゾートならではの開放感をたたえている。

そんなゴールドコーストの開発に力を注いだのが大京の創業者・横山修二である。

次に見据えた舞台は南半球

1987年3月18日、横山の姿はゴールドコーストにあった。大京が新設したパームメドウズ・ゴルフコースの開業式典に参加するためである。やがて、青空を切り裂く轟音とともに、オーストラリア・クイーンズランド州首相ピーターセンを乗せたヘリコプターが舞い降りた。スーツに身を包んだ横山は笑みを浮かべ、両腕を大きく広げてその到着を迎える。プロペラが巻き上げる砂塵は南半球の強烈な光を浴び、黄金の粒子となって人々の視界を揺らめかせた。

日本でライオンズマンションを成功させ、「マンション王」と呼ばれた男が、次に見据えた舞台は大洋を越えた南半球だった。リゾート王国の建設──それは、時代の熱気と為替の追い風を背にした、果てしなく大きな夢の始まりだった。

大京が豪州に進出したのは72年。最初に手がけたのは牧場経営であった。数千万円も出せば、数百ヘクタール規模の牧場を取得できた。広大な大地を前に、やがては不動産開発につなげる思惑もあったが、70年代は2度のオイルショックに見舞われた激動の時代であった。大京が海外展開に注力できる余裕は乏しく、豪州での事業はまだ芽にすぎなかった。

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