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大京がのめり込んだオーストラリア事業、1000億円超投資の顛末。創業者・横山修二の壮大な夢

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当時の大京オーストラリア社員が社内報に寄せたリポートには、大繁殖する野生のカンガルーに牧場主が頭を抱え、駆除を求める声と動物愛護を主張する市民運動が対立している様子が2ページにわたって記されていた。遠い南半球からのカンガルーをめぐる報告は、どこか牧歌的な風景が感じられるものであった。

80年代に入り円高が進むと、夢が現実へ一気に走り出した。

第2のハワイに

84年、東京・帝国ホテル鶴の間。大京は駐日オーストラリア大使を招き、ゴールドコーストでのホテル建設を発表した。運営を担うサザン・パシフィック・ホテル・コーポレーションとの契約調印式には、多くの報道陣が詰めかけた。

翌85年には現地で起工式が行われ、クイーンズランド州首相や、在ブリスベンの日本総領事らが列席し、報道陣も250人ほどが押し寄せた。式典は華やかに報じられ、ゴールドコーストという地名がしだいに日本のメディアをにぎわせるようになる。

80年代に日本企業が海外投資を加速させた背景には、急激な円高がある。85年のプラザ合意を機に1ドル=240円台から3年後には120円台へ。余剰資金を海外へ投じる動きが広がった。

大京もまた、その潮流に乗り、ゴールドコーストを拠点に本格的なリゾート開発へ舵を切る。このときすでに、横山の構想は壮大であった。

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