
第1回:タワマンブームの源流「エルザタワー55」の全貌
第2回:川口タワマン「エルザタワー」 用地取得の全内幕
第3回:大不況を3度生き抜いた大京「鬼軍曹」が泣いた日
第4回:「青田売り&等価交換」で業界の常識を変えた大京
第5回:マンション王国「大京」、女性営業第1期生の証言
第6回:大京の危機の起点「紀尾井町ビル用地」高値落札
第7回:大京がのめり込んだ豪州「1000億円投資」の顛末
第8回:大京「売れ残り物件」の一括処理をめぐる秘話
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大京の創業者・横山修二には、人生を支えた3つの「家」があった。
生まれ育った「鈴木家」。結婚してからの「横山家」。そして、血縁と仕事が重なり合った「大場家」である。
孤独な少年期
修二は1925年、東京・麹町でハイヤー会社を営む鈴木藤吉の次男として生まれた。経済的に恵まれた家庭だったが、家業は忙しく、修二は幼い頃から手伝いに駆り出された。主に近所の家々を回って集金をする。
ガキ大将だった修二にとって、それは強い羞恥を伴う記憶だったと同時に、仕事の大変さを身をもって知る経験となった。
母は、病弱だった長男・慶一の看病に追われ、家庭の関心はつねに兄へ向けられていた。修二は顧みられることが少なかったと感じていた。後年、「母親から何かしてもらった記憶がないんだ」と家族に漏らしている。少年期の孤独を物語っており、後の修二の家族観につながっていく。
修二には、機械エンジニアになる夢があった。だが44年、19歳で徴兵される。東京高等工学校(現・芝浦工業大学)を繰り上げ卒業し、中国北部から朝鮮半島などを転々とした。
配属された部隊を率いていたのは坪井部隊長。「人柄も優れた、実に立派な方だった」と修二は書き残しており、戦地にあっても「部隊長をひたすら信じていたため、あまり不安や恐怖というものは感じなかった」と全幅の信頼を寄せていた。



















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