しかし45年夏、ソ連が参戦してくると坪井部隊長は、多くの部下を守れなかった責任を感じてピストル自決を遂げてしまう。
この場面を修二は事あるごとに語っており、後の経営者としてのリーダーシップや責任感の礎となったことは想像にかたくない。
入隊直前、19歳の横山修二(写真:親族提供)
過酷なシベリア抑留
ソ連軍によるシベリア抑留も過酷だった。ニコリスク収容所での炭鉱労働は飢えと重労働の連続。マイナス30℃にもなる極寒の中、線路建設のための石運びが課せられる。
20歳を過ぎたばかりの若者に与えられた食料はわずかで、昼食は一切れの黒パンだけ。慢性的な空腹にさらされた修二は、「白いご飯が食べたくて、何度も気が狂いそうになった」と後年に述べている。
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