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「欧米のまねではだめ」「制限するのではなく質で戦う」・・・“獺祭の生みの親”が語った日本ブランドの生き残り方 世界の富裕層に刺さる酒をどう造る?

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桜井博志(さくらい・ひろし)/1950年山口県生まれ。松山商科大学(現・松山大学)卒業後、兵庫県の酒造会社勤務を経て1976年に家業の旭酒造(現・獺祭)入社。父と対立し2年で退社するも、父の急逝に伴い1984年に出戻り社長就任。2016年、社長を息子に譲り会長に就任(撮影:今井康一)
地元の販売店では相手にされず、杜氏にも逃げられるーー。
山口県岩国市の潰れかけた酒蔵で、そんな窮地に直面した3代目が試行錯誤の末に製法を変えながら生み出したのが、今や世界中で売れる日本酒となった「獺祭」だ。日本酒の単独銘柄としての海外販売額は首位級とみられる。
2024年9月期の全社売上高は195億円に達し、その約3割を海外への輸出が占める。売上高1000億円を将来目標に掲げ、そのうち700億円を海外で稼ぐ青写真を描く。6月1日には、会社設立以来70年以上にわたり冠してきた「旭酒造」の社名を「獺祭」へと変更した。
なぜ今、社名変更を決めたのか。ラグジュアリーブランドとして世界展開を見据えるうえでの課題とは。獺祭の生みの親である3代目、桜井博志会長(74)に話を聞いた。

アメリカでの酒造りで見えた壁

――社名丸ごと「獺祭」へと変更しました。なぜこのタイミングで変えたのでしょうか。

そうとう前から考えてはいたんですよ。戦略的に言うと、絶対変えるほうが有利。だって獺祭というブランドしか作ってないから。「株式会社獺祭」のほうがメッセージ性は強い。

でも大変なんですよね、社名変更って。例えば、酒のラベル表記も変えないといけないし、各種申請をもういっぺんやり直す必要が出てくる。

海外に出ていく中で「何で“旭酒造”なんだ」と言われてきた。(「あさひ」だから)ビール会社が親会社なの?新聞社がバックボーンについているの?って。これはちょっとまずいなと。だからこの際やろうと、やっと決断した。

――海外展開を加速する中で、わかりやすい社名に変えたほうが有利だろうと。2023年にはニューヨークに酒蔵を作り、会長自身も現地に移住しました。

アメリカには日本から3人スタッフが行って、ローカルスタッフを含めて総勢10人で酒を造っている。

輸出だけしているときはいくつもフィルターを通しているから、情報が入ってこないもどかしさがある。反面、現地の市場の問題とかはあまり見えてなかった。今まさに自分がそこへ行ってみると、なるほどアメリカ市場の難しさみたいなものがわかる。とにかく大変大きな壁であることは確かだ。

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