「欧米のまねではだめ」「制限するのではなく質で戦う」・・・“獺祭の生みの親”が語った日本ブランドの生き残り方 世界の富裕層に刺さる酒をどう造る?

アメリカでの酒造りで見えた壁
――社名丸ごと「獺祭」へと変更しました。なぜこのタイミングで変えたのでしょうか。
そうとう前から考えてはいたんですよ。戦略的に言うと、絶対変えるほうが有利。だって獺祭というブランドしか作ってないから。「株式会社獺祭」のほうがメッセージ性は強い。
でも大変なんですよね、社名変更って。例えば、酒のラベル表記も変えないといけないし、各種申請をもういっぺんやり直す必要が出てくる。
海外に出ていく中で「何で“旭酒造”なんだ」と言われてきた。(「あさひ」だから)ビール会社が親会社なの?新聞社がバックボーンについているの?って。これはちょっとまずいなと。だからこの際やろうと、やっと決断した。
――海外展開を加速する中で、わかりやすい社名に変えたほうが有利だろうと。2023年にはニューヨークに酒蔵を作り、会長自身も現地に移住しました。
アメリカには日本から3人スタッフが行って、ローカルスタッフを含めて総勢10人で酒を造っている。
輸出だけしているときはいくつもフィルターを通しているから、情報が入ってこないもどかしさがある。反面、現地の市場の問題とかはあまり見えてなかった。今まさに自分がそこへ行ってみると、なるほどアメリカ市場の難しさみたいなものがわかる。とにかく大変大きな壁であることは確かだ。
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