いうてしまえばそれだけのこと、かもしれない。でも自分の行いは自分に返ってくるということは、会社を辞めて給料も肩書きも失った私には、実に大いなる希望だった。恐れることはない。お金も肩書きもなくたって、人は行い一つで、自分の人生を自分で明るくすることができるのだ。
何しろ銭湯ってみんなハダカですからね。そもそもお金も肩書も通用しない。通用するのは「行い」のみ。つまりは銭湯とは行いの道場であるといえましょう。
それはですね、この人生100年時代、つまりは誰もがお金や肩書きに頼れない時間を長く生きねばならない時代に人生を明るくまっとうする上で、ぜひとも体験しておくべき必須課題なのではないでしょうか。
理由5:油断して暮らす日々を手に入れる
というわけで、こうして銭湯ライフにどっぷり浸かって5年以上。今や、銭湯へ行く服装がほぼ「部屋着レベル」になってきた。何しろマイ風呂ですからね。そこへ行く道はわが家の廊下のようなものだ。ばっちりおしゃれして出かける必要などどこにあるだろう。
それが当たり前になってみると、誰もそんなこと気にしちゃいないこともよくわかった。寝巻きに近い格好で顔見知りの米屋や酒屋とすれ違うこともあるが、「お、今から風呂かい?」と聞かれてニッコリされるだけである。
その度に、ああこれで良かったのかーと感慨に耽る私である。
「男は敷居をまたげば7人の敵がいる」とかなんとか、この世の中を生き抜くには絶えず緊張して他人に出し抜かれぬよう生きなきゃいけないみたいなことを言う人が今もたくさんおられますし、私も会社員時代はずっとそんな感覚で生きてきたわけですが、決してそんなこたあないんである。
人はもっと油断して、信じ合い、許しあって生きていくことができる。銭湯に行くと、そんな現実が身をもってわかります。それが分かるだけでも確実に人生変わりますよ。
というわけで、週に1回でも、月に1回でも良いのです。ぜひとも一度腰を据えて、近所の銭湯へ通ってみることを心からお薦めする次第であります。もちろん免疫力もアップ。適度な運動にもなります。こんな時代にこそうってつけかと。
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