塩野:辞めたいという気持ちになりませんでしたか。
志の春:それはありませんでした。ここに親が反対する意味があるんですよ。親の反対を振り切って入った手前、「やめた」とは言えません。うちの一門にも何人も弟子が入ってきますけど、親がすぐ許した人は、すぐ辞めますね。
塩野:わかります。反対を押し切って入った手前、おめおめと帰れませんよね。
師匠からのダメ出し
志の春:今、なぜか僕が入門希望者の面接担当みたいになっているので、そういう人には「大変だよ。楽しいだけの世界じゃないよ」とはっきり言います。おカネも最初はまったくないし、現実的にはこういう世界だよ、と夢を壊すようなことを言うのです。
塩野:そこでもういっぺん試すのは絶対必要ですよね。そうした中で、ご自分の落語の稽古はどうやっていたのですか。
志の春:それは本当に短い時間しかできません。師匠の付き人を務めている間は、もう本当に師匠を快適にすることしか考えられない。当時はまだ師匠がたばこを吸っていたので、たばこを吸うタイミングを予測したり、胸ポケットのたばこがあと何本残っているか覚えていたり、ずっと気を張っていました。それなのに、師匠がなかなか快適にならない人なのですよ。
クルマの運転手をしていても、「目がチカチカして嫌だ」と言ってナビを使わせてくれない。ということは、あらゆるルートを全部頭にたたき込んでおく必要がある。師匠はせっかちなので、大きな道が混んでいるときは、抜け道を通ってでも、とにかくクルマを走らせることが大事なのですよ。何も対応しないで、ただそこにいるというのが許せないんですね。本当は抜け道のほうがかえって遅くて、大きな道をノロノロ行ったほうが速いんだけど。だから付き人時代は、都内の道を全部、道路地図で勉強したりすることしかやっていない。1日の仕事が終わって、銭湯も閉まった夜更けに、家の流しで体を洗いながらブツブツ稽古をするくらいです。
稽古をつけてもらうのも一苦労で、「見てください」とお願いしても、「わかった」とは言ってくれるものの、見てくれないんですよ。1カ月くらい経って僕が油断したころ、急に「じゃあ、やれ」と言われる。「この人物はと申しますと、八っつぁんに熊さんにご隠居さん」と最初のマクラの部分から始めると、すぐに「やめろ、そんなの落語じゃねえ! 落語にしてから来い!」と言われて終わり。何がどう駄目なのか、いっさい言ってくれない。それで自分でいろいろ考えて、またお願いして、「この人物はと申しますと、八っつぁんに熊さんにご隠居さん」とやると、また「落語じゃねえ!」。ひとつの噺を最後までやるのに半年ぐらいかかりましたね。
塩野:やっぱりすごいね(笑)。
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