親から反対された弟子のほうが辞めない
塩野:引き続き、修業時代のお話を。風呂なしのアパートで、無給の生活がつらいとは思わなかったのですか。
志の春:それは思いませんでしたね。すぐ慣れました。
塩野:楽屋でのお仕事はどうですか。お茶出しとか、着物を着るお手伝いとか。
志の春:そっちはなかなか苦労しました。もともと僕はゴーイング・マイ・ウェイのアメリカで長く暮らしていましたから、誰かに対して何かお世話をするという経験があまりないわけです。それが師匠のところに入門してまず言われたのが、「俺を快適にしろ」という一言。「俺を快適にできないやつが、お客さんを快適にできるか」。
塩野:そのとおりですね。これちょっと会社で言いたいですね。
志の春:そうですよね。会社だとパワハラかセクハラみたいですけど、徒弟制度は絶対的な関係なので。「こうしろ」と言われたことをするのじゃなくて、とにかく師匠をずっと見ていて、次に何をやりたいか察して、先回りして気を利かすということが大事。前座のいちばんの仕事は落語なんかじゃなくて、気を利かすことなのです。でも僕はそんなことをやってこなかったから、「ここまでやっていいんだろうか、こんなのは人のプライバシーに入り込みすぎじゃないか、お節介じゃないか」と、僕の中にリミッターがあるわけです。
塩野:そうか、塩梅がわからない。
志の春:ええ。でもほんとは前座なんてお節介なほうがいいわけですよ。もう気にしてますよ、気にしてますよって、やりすぎなくらいがいいのだけど、僕なんかわりと落ち着いているように見えて、もうしょっちゅう「何ぼーっとしているんだ」としかられた。
塩野:普通の日本人よりハンデがあった感じですね。
志の春:ええ、思いっきりありました。「お前みたいな気遣いのできない人間に、落語なんかできるわけがない。やめちまえ」と何度言われたことか。
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