ソチオリンピックにおける浅田真央渾身のフリーが全世界に感動を巻き起こした記憶は新しい。8年前に荒川静香がトリノ五輪でイナバウワーを決めた金メダルの滑りも忘れがたいものだった。
その際、荒川がチョイスした音楽が、イタリア・オペラの超ビッグネームであるプッチーニが作曲した『トゥーランドット』のアリア『誰も寝てはならぬ』だったことは広く知られている。
プッチーニといえば、傑作の『蝶々夫人』が日本を舞台にしたものであることは、このオペラを観たことがない人でもよくご存知だろう。しかしプッチーニの大傑作オペラ『トスカ』と原作を同じくする姉妹作品が、『トスカ』より10年以上も早く日本で、しかも落語(噺-はなし-)として生まれていたことはあまり知られていない。今回は、日本の落語が全盛を極めていた明治期を探訪していきたい。
救いようのない暗い話『トスカ』
『トスカ』は、ナポレオンの猛威が迫る1800年の王政ローマが舞台。王政をよからず思う画家カヴァラドッシが、偶然のなりゆきから脱獄政治囚の逃走の手助けをし、自分の別荘にかくまう。しかしカヴァラドッシの恋人である歌姫トスカはカヴァラドッシの不穏な動きを浮気と勘違いし、病的なくらい嫉妬する。一方、ローマの辣腕警視総監スカルピアは、僅かな状況証拠からカヴァラドッシが脱獄囚の手助けをしたことを見破り、トスカの嫉妬心を巧みに煽り、トスカを尾行させることで脱獄囚を発見し、カヴァラドッシも逮捕されてしまう。
好色な卑劣漢スカルピアは、トスカが自分と関係を持てば、カヴァラドッシを空弾で銃殺刑に処したふりをしてひそかに逃がしてやるし、安全な場所までの通行証もくれてやる、と持ちかける。懊悩した挙句、トスカは従うふりをして油断させたスカルピアを刺殺し、通行証を奪う。翌朝、塔の上での銃殺刑の後、トスカが死んだふりをしているカヴァラドッシのもとに駆け寄ると、空弾というのは真っ赤な嘘。カヴァラドッシは本当に銃殺されてしまっていた。悲嘆にくれるトスカ。そこへスカルピアがトスカに殺された事を知った憲兵隊が押し寄せ、絶望したトスカは塔から身を投げる。というなんとも救いようのない暗い話だ。
この筋書きはプッチーニのオリジナルではない。19世紀の偉大な劇作家ヴィクトリアン・サルドゥが執筆し1887年(明治20年)に初演された演劇『ラ・トスカ』がオリジナル。それを元にしてオペラ用にアレンジされた台本にプッチーニが音楽をつけたものである。19世紀を代表する名女優サラ・ベルナールが主演して大当たりをとった『ラ・トスカ』は、オペラ『トスカ』のストーリーよりさらに複雑に入り組んだ、非常にサスペンスフルな傑作戯曲だ(サルドゥのオリジナル戯曲は新潮オペラCDブック『トスカ』に収録されているので比較的容易に読める)。
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