子どもの頃、書店の児童書コーナーには少年少女世界文学全集だとか少年少女世界の名作、といった題名の世界文学のダイジェスト版が溢れかえっていた。教養主義時代の最後の世代に属する教育熱心な親たちは、こぞってそれらを子どもに買い与え、より高みにある世界に導こうと腐心したものだった。
しかし残念ながら、大半のリライトは、
問題は、多くの人が、リライト版を読んでその作品のことを分かった気になってしまうこと。もったいないことに、オリジナルを読もうともしない。その点で、リライトというのはむしろデメリットの方が大きいと言えるだろう。
ガリバー旅行記の本質
典型的な例は、スウィフトの『ガリヴァー旅行記』だ。これはかなりの人が「船乗りガリヴァーが遭難した結果、小人国と巨人国に辿り着き、愉快な冒険を繰り広げる物語」という印象を抱いていると思う。しかし、それは4篇からなるこの作品の前半に過ぎない。
アイルランドで発生した飢饉を解決するためには、アイルランドで生まれる赤ん坊を食用に供すればいい、そうすれば二重の意味で飢える人が少なくなる、というグロテスクで悪意に満ちた提案書(これを読んだ漱石はスウィフトを狂人と断じた)を書いたこともあるスウィフトが、この小説で最も訴えたかったことは、ラストに位置する馬の国・フウイヌム国渡航記においてこそ強烈に表現されているのである。そこに描かれているのは徹底的な人間への不信と軽蔑と憎悪なのである。
メーテルリンク『青い鳥』もそうだ。「チルチルとミチルの兄弟が、幸せの青い鳥を求めて世界を遍歴しましたが、実は本当の幸せは身近にあったのです」といった道徳臭の強いメルヘンのように思われることも多いが、実際はそんな生易しいものではない。19世紀末ヨーロッパの象徴主義の濃厚な影響のもと、死の予感漂う詩や小説、戯曲を発表していたメーテルリンクの代表作だけあり、夢幻的な中に死の観念が色濃くたちこめ、単なる愛らしいファンタジーという事前想定で完訳版を読み始めた読者は、かなり面食らうのではないかと思う。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら