イェール大学で受けた衝撃
塩野:志の春さんはイェール大学を出て、三井物産に勤め、現在、落語家として活躍中です。まずは今までのキャリアについて、詳しくお聞きできますか。
志の春:僕は小学校のとき、親父の仕事の都合で3年間くらいニューヨークにいて、小学6年のときに帰国し、中高時代を日本で過ごしました。そこは帰国子女のための英語の授業があるようなところだったので、英語をあまり忘れずにいられた。それで高校2年生頃になると、大学進学とか進路について考えるようになるのですが、僕はまだ自分の中でやりたいものが見つかっていないのに、偏差値だけで進路を決めるのが嫌だったのです。そうしたら先生が、「アメリカの大学に行くなら3年まで志望校を決めなくていい」と言うので、日本から書類を送って9校ぐらい受け、合格した中にイェールがありました。
塩野:日本の高校からイェールに行かれて、どうでした?
志の春:1週間ぐらいで早くも自信喪失して、どん底状態に陥りましたね。世界中から優秀な学生が集まっていて、国から学費をもらって来ている人もたくさんいるわけですよ。学費を自分で払っている時点でもう三流。特待生でようやく二流。一流はもう全然ワケのわからない世界。
塩野:王族で、なおかつ理系エリートで特待生みたいな人、本当にいますからね。
志の春:そうそう。王族ならカネあるんじゃねえかと思いますが、大学側がどうしても来てくださいというから来てるんですよ。日本にだって勉強のできるやつはいるし、運動のできるやつもいる。でもひとりの人が勉強も運動も芸術も全部すごくて、それも全国で何位というレベルのやつはなかなかいないでしょう。
塩野:そうですね。県どころか、市でも難しいですね。
志の春:そういう人たちと話をすると、これは次元が違うとすぐわかる。僕は普通の18歳だけど、飛び級で16歳で来ているようなやつは、精神年齢はもう35歳くらいなんですよ。
塩野:おっさんじゃないですか。
志の春:おっさんですよ。彼らは「教授から教わる」という感じじゃないんですよね。知識を得るのは本やネットでいくらでもできるから、教授はその知識を基に討論をして自分の考えを試す相手、くらいの感覚。教授から何か学ぼうとしている時点で、出遅れていることになるわけです。
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