42歳で小説家デビュー
楠木:磯﨑憲一郎さんは、総合商社のマネジャーとして仕事をしながら純文学の小説家として芸術活動を続けています。陳腐な表現ですが、俗にいう「二足のわらじ」。聞くところによると「二足のわらじ」という言葉は、そもそも「絶対に不可能なこと」のたとえだそうでして、だとすると、今普通に使われている意味での「二足のわらじ」は誤用ですね。
ただ、磯﨑さんのなさっている商社マン&純文学者というのは、「絶対に不可能」とは言わないけれども、相当に難しいことに見えるので、言葉の本来の意味での「二足のわらじ」なのかもしれません。
しかも、磯﨑さんの場合は、その二足のわらじの「履き方」というか、履くに至った経緯がちょっと変わっている。ほかにも、別の仕事をしながら、執筆活動をしている方はおられます。ただ、そういう方は、もともとが小説家志望で、それでは生計が成り立たないので、たとえば出版社に勤務をしながら小説を書くといったケースが多いように思います。磯﨑さんの仕事は総合商社のバリバリのマネジャーですから、一見すると純文学とまったく無関係に見える。
私は磯﨑さんとはほぼ同い年なのですが、40歳くらいで小説を書き始めたということは、会社に入られた時点では小説家志望ではなかったんですよね。
磯﨑:そうですね。小説家になろうとは、まったく考えていませんでした。
楠木:小説家というのは「好きでやる仕事」の典型ですが、好き嫌いでいうと、小説が好きで、普段からよく読まれていたのですか。
磯﨑:サラリーマンの中では、比較的読んでいるほうかもしれません。ただ、月に何十冊と読むような、文学好きではなかったです。
楠木:それは意外ですね。学生時代はどんなことをされていたのですか。
磯﨑:小説を読み始めたのは、中学生の頃からです。文庫本で、北杜夫さんとか遠藤周作さんの作品を読んでいました。
楠木:そこまでは僕と変わらない。わりと普通ですね。
磯﨑:その後、中学・高校時代は、どっぷりロックに入れ込んでいました。特に、イギリスのロックバンドのレッド・ツェッペリンのファンでした。
楠木:それも同じです。ちょうど今朝も仕事場に行く途中で聴いてきました(笑)。『グッドタイムス、バッドタイムス』。今聴いても最高ですね。
磯﨑:音楽を聞き出した1980年代は、世間的にはニューウェーブがはやっていたのですが、私は、今の言葉で言えば1960~70年代のクラシックロックをよく聞いていました。バンドを組んで、ギターを弾いたりして、高校時代はロックにどっぷりつかっていました。
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