※対談(その1): 日本人の教養と、根深い西洋コンプレックス
鷲田:前回、先生は経済人の話から始められたでしょう。今、経済団体のトップたちは、「このごろの学生は教養がない、コミュニケーション能力がない」としきりに言います。
あの人たちには、幻想としての旧制高校があると思うんですよ。「旧制高校時代、われわれはドイツ語で原書を読んだ」とか「理系でもデカルトは高校のときに読んだ」といったイメージです。さらに、「トータルにものを見るためには、断片的な知識ではなく哲学がいる」といった過剰な哲学幻想がある。でも、本気で哲学をやった人なんてそんなにいない。
山折:ほとんどいない(笑)。
鷲田:結局、彼らは幻想で言っているだけですよ。私が皮肉だと思うのは、戦前の旧制高校的な教養観の中で、経済はバカにされていたということです。
つまり、旧制高校の連中というのは、一方では官僚になり、国を支えるエリートたち、もう一方は、文化人というか、国家を超えたコスモポリタンとしてのエリート。これは白樺派が典型です。そんな中で、政治的に根回しをしたり、おカネを集めてきたり、といった政治家的、経営者的なものは、ある種、疎外されていました。
昭和の10年代に、三木清は、政治を軽蔑して文化を重んじる文化主義的に偏向した教養主義を、明治の福澤諭吉をはじめとする言論人や経済人の教養思想への反動としてとらえました。彼の「読書遍歴」という文章の中ではこう書かれています。「この教養の観念はその由来からいって文学的乃至哲学的であって、政治的教養というものを含むことなく、むしろ意識的に政治的なものを外面的なものとして除外し排斥していたということができる」と。
大正時代、あるいは戦前の教養の特徴は、実用的な知識をものすごく軽蔑していたことです。それは教養を考えるときに、とてもいびつなことだと思っています。つまり、庄屋の人たちが代々血を出さずに店を守っていくときや、あるいは渋沢栄一が典型ですけれども、この国に本当に必要な環境、施設、機関が何かを考えて、ビジネスを起こしていくときには、ものすごく教養が働いていたはずです。それなのに、戦前の教養主義は、ある種それを侮蔑していたのです。
もうひとつ、これは東大の苅部直教授が言っていましたが、戦前の教養主義の教養はすごくドイツ的で文化偏重の教養。だからデカンショ、ゲーテ、シェークスピアといった話になってくる。「文明」に対する「文化」(クルトゥーア)の偏重です。
それに対しフランスでは、市民教育の一環としての教養がすごく大事にされていて、教養教育の主眼は、市民としての成熟(シトワイアン)、よき優れた市民になることに置かれています。日本の教養主義の中には、そうしたフランス的教養というものがあまりない。今でも、フランスに行ったら高校で哲学の授業をやっていますし、行政のプロを養成する大学院でも哲学論文が必須となっています。
彼らにとってはよき市民をつくる、その人たちからよき政治家を生み出すという意味で、政治的な手法なども含めて教養だという概念が浸透しています。だから、フランスの政治家はシラクもそうですけれども、ものすごく教養があるじゃないですか。日本についても詳しいですし。
山折:ミッテランもそうでしたね。
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