フランスが抱える市民と国民の葛藤
鷲田:もうひとつ、授業なのかトレーニングなのかわからない、コント・ランデュというものがあります。これは何かというと、講演を聴いたり、先生の授業を受けたりしたときに、演者あるいは教師が話したことを、その話の中で使われなかった言葉で要約する練習です。要するに人のまとまった話を聞いて、それを文字どおり書き写すのではなく、自分の言葉で要約するわけです。
このやり方は功罪相半ばするところがあって、「何でも自分流に理解してしまう」という罪もありますが、「自分とは異質ななじみのない人の考え方を、無理やりにでも自分の中にねじ込んで、ものを考えるときの筋道を広げていく」という功もあります。
以前、フランスの大学に行ったときにちょっと授業をのぞいたら、美術史の授業なのに、みんながずっとノートをとっていました。「フランスも丸写しの授業になったのか、情けないなあ」と思ってふと考えたら、「でもあの先生の早口、写せるはずがないよな」と思って、学生に何をしているのかを聞いたら、要約していることがわかりました。
フランスの大学生は、自分の言葉で要約するトレーニングを高校時代にしっかり積んでから、大学に入ってきています。それはそれで、すごい教育だと思いました。日本では絶対やらないでしょう。
山折:授業ではやらないね。だけど、鷲田さんや私自身の個人的な体験のレベルで考えると、みんなそれを無意識にやっているわけだよね。
鷲田:本を読むのは、そういうことですね。
山折:たとえば、いろんな本を読む。そして自分なりの要約をする。自分なりの要約をできないとうまく書けない。引用する際にも、自分の要約が頭に入っていないと、的確な要約はできない。だから、まず相手に則する、あるいはテキストに則した読み方をする。そのうえで自分の個性をどう出すかを考える。そうしたことは、みんなやっていると思います。
鷲田:それを、高校のカリキュラムでやるところがすごい。
山折:確かにすごい。
鷲田:先ほどのシトワイアン教育にもつながる話です。
山折:おそらく国民というのは集合名詞で、シトワイアンというのは一人ひとりの個人名詞ということなんでしょうね。
鷲田:一方で、フランスがしんどいのは、そういうシトワイアンの思想が建て前上しっかり存在することです。
最近フランスでは、アフリカや中東から労働者が多く入ってきていますが、その人たちの多くは、差別的な職業にしか就けずに、右翼化したり、暴力事件を起こしたりしています。そうした文脈の中で起きたのが、例のスカーフ問題です。
スカーフというのは、民族やネーションの印でシトワイアンの印ではない。だから、学校に来るときは、ここはシトワイアン教育の場なのだから、民族や宗教やネーションの印を持ち込んではいけないという言い分なんですね。それはシトワイアン教育だからこそ生まれる葛藤です。私たちはネーションになって、別のネーションを排斥するような行動を起こしてはいけないという、シトワイアンの建て前とぶつかってしまう。
山折:それが迫害、そして友情の問題もかかわるのですね。
鷲田:そうです。だから、今のフランス人にとって、あのスカーフ問題は、抽象的な問題です。自分の中のネーションとシトワイアン、つまりは、国民と市民の葛藤みたいなものがもろに出てきてしまっています。
(司会・構成:佐々木紀彦、撮影:ヒラオカスタジオ)
※ 続きは9月17日(火)に掲載します
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