教養をめぐる、経済界トップの勘違い 山折哲雄×鷲田清一(その2)

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外交官に見る、日本型エリートの弱点

山折:日本の教養主義は、ドイツ的な教養だけを一方的に取り込んでしまった面があります。

鷲田清一(わしだ・きよかず)
哲学者
1949年生まれ。京都大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科哲学専攻博士課程修了。関西大学、大阪大学で教授職を務め、現在は大谷大学教授。前大阪大学総長、大阪大学名誉教授。専攻は哲学・倫理学。『京都の平熱――哲学者の都市案内』『<ひと>の現象学』など著書多数

鷲田:それが戦後にもそのまま引き継がれています。教養の概念は戦前と戦後では全然違いますが、だんだん「知識としての教養」になっていったという意味では、連続性があるような気がします。「お前、あの本読んだか?」という感じでしょう?

山折:「読んでいる、読んでいない」「知っている、知らない」というのがコンプレックスの原因になってしまう。つまらない競争をやっていたものだと思いますよ。

非常に誇張した例ですが、外交交渉の場で、日本と欧米の外交官の教養の差が歴然と現れるとよく言われます。日本の帝国大学の法学部を出た外交官は、法律しか知らない。一方、イギリスやアメリカの外交官は、法律のほかに文学、哲学、芸術の世界を知っている。これでは勝てっこない。

知識として受け入れているだけでは、外交交渉の修羅場ですっとその言葉が出てこない。経済的な問題を議論しているときに、自然とシェークスピアや聖書の一節が出てくると強いですよ。

鷲田:それは、権力ではなくひとつの権威になりますね。

山折:知的権威と言ってもいいでしょう。日本にも、明治時代には、万葉集や源氏物語や方丈記の言葉をすっと出しながら、外交交渉に臨む外交官がいたかもしれない。小村寿太郎は、そういう身体化された教養をバックにしていたような気がします。教養の欠如に加えて、日本の外交官は専門性もあまり感じられない。

鷲田:日本の外交官は、いちばんエリートは大学中退でしょう。大学時代に試験に合格して、そのまま大学を辞めてしまうので学位がない。それに対して、海外の外交官はほとんどが博士号を持っています。ある中退組の外交官が「あれは格好悪いし、恥ずかしかった」と言っていました。

山折:学生のうちに、試験に受かって官僚になるのは秀才かもしれないけれども、教養を身に付ける時間はないわけですよ。すぐ専門的な技術を身に付けないといけない。

鷲田:そして何より、ドクターを取る過程で体にしみ付く身体知がある。いろんな物を読んで、ああでもないこうでもないと考えながら論を組み立てて、長い論文を書くトレーニングを積んでいるかどうかで、大きな差が出ます。

山折:そうですね。

鷲田:英語ができるか、できないかという話ではないんですよ。

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