ジェントルマンシップという教養
鷲田: イギリスの場合には、シトワイアンはないですが、ジェントルマンシップがあります。ジェントルマンというのは、姿勢そのもの。それこそ日本の明治までの教養のように、しゃべり方とか、服装とか、スポーツとかにまで浸透している独特の教養概念です。だから苅部さんが言うように、日本の教養主義というのは、文化偏重のドイツ型の教養に過剰な影響を受けてきたのではないかと。
山折:それは、私もそう思います。つまり、戦前の旧制高校的教養というのは、基本は確かに文化、ドイツ文化中心です。観念的でロマンチシズムが非常に濃厚ですよ。
鷲田:理想主義的で。
山折:そう。それに対して、フランス文化は今おっしゃったとおりですね。
最近、必要に迫られて、岩波文庫の『世界憲法集』という本を読みましたが、アメリカ、フランス、中国、韓国、ドイツ、カナダが取り上げられていて、最後に日本が出てきます。その中でフランスの憲法だけは、ほかの諸国とは違う点がありました。それは、シトワイアンです。国民と市民という言葉を使い分けているのはフランス憲法だけ。ほかの国は全部国民ですよ。
鷲田:日本が典型ですね。
山折:とりあえずピープルです。だから、なぜフランスはこれほど国民と市民を厳密に使い分けているのかを分析する必要があります。やっぱり基本はフランス革命の人権宣言から出発しているのでしょうね。
それから、イギリス的教養については、英文学者の池田潔さんが書いた『自由と規律』(岩波新書)を読むとよくわかります。イートン、ハーローといったパブリックスクールの教育は、昔の修道院教育をモデルにしています。徹底した禁欲と抑圧とコントロールの下に、3年なり5年なり修道院的な修道僧的な生活を強いられます。
ところが、そこを卒業してオックスフォードやケンブリッジに入ると、途端にジェントルマン扱いされるようになる。この落差がすごい。その落差を教育のプロセスの中に組み込んだことがすごいと思います。
やっぱり少年の時代は、ややもすると野生化する。イートンやハーローの教育というのは、放縦に流れやすい人間を徹底的にたたきのめすという思想です。そこをくぐり抜けた人間が一人前になる、ジェントルマンになる。そうした思想は旧制高校にはありません。よく旧制高校の教養の基礎に、英国流パブリックスクールの教育があると言いますけど、誤解も甚だしいですよ。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら