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東日本大震災で都市ガス供給に何があったか? 仙台市ガス局は供給ルート多重化が奏功、東京ガスが進める地震・津波対策の実態

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東日本大震災の被害とその後の対策について説明する、仙台市ガス局港工場の馬場敏大管理係長(写真:編集部撮影)
2011年3月11日の東日本大震災では、東京電力・福島第一原子力発電所が津波による浸水で全電源を喪失し、メルトダウン(炉心溶融)事故を引き起こした。当時、仙台市ガス局でも、都市ガスの供給拠点であるガス工場が津波による被害に見舞われ、一時、全エリアでの供給停止を余儀なくされた。震災当時、何が起こり、その後、どのような対策が講じられているのか。仙台市ガス局および震災後に稼働した東京ガス・日立LNG基地の地震・津波対策の取り組みをリポートする。

宮城県仙台市の港湾部にある仙台市ガス局の港工場は、仙台市を中心に家庭や店舗、工場など約34万戸に都市ガスを供給している。大震災の日の午後3時50分頃、港工場には海抜7メートルを超す高さの津波が押し寄せた。

製造設備はほぼすべてが浸水して電動機類や操作盤など多くが使用不能になった。事務所コントロールセンター棟には1階の天井を越える高さの津波が流入し、執務室は損壊した。震災当日に勤務していた約30人の職員は、事務所コントロールセンター棟の2階および屋上に避難して、全員が無事だった。

当時、港工場で設備係長を務めていた佐竹利明・仙台ガスサービス専務取締役によれば、「当時、宮城県の津波想定では、この工場は浸水しないとされていた」という。ただ、「東日本大震災の前年のチリ沖地震で津波警報が出たことからルールを見直し、(津波警報が発報されたら)全員が避難するという取り決めができていた。こうしたことも(人的被害を防ぐうえで)功を奏したと考えている」(佐竹氏)。

その後、仙台市ガス局ではLNG船の受け入れ再開や特別高圧の受電再開、熱量調整ガスの送出再開といった復旧作業を進めたが、一連の復旧が完了するまでには、大震災から387日の長期間を要した。

早期仮復旧を支えた事前の対策

他方で、仮復旧には比較的早くこぎつけた。震災から12日後の2011年3月23日には一部地域へのガスの供給再開を実現。4月16日には地震や津波被害のなかったエリア全域にガス供給を再開した。

こうした仮復旧には、全国の都市ガス事業者から1日当たり最大で3869人もの応援があったことに加え、仙台市ガス局が事前にレジリエンスの取り組みを強化していたことが功を奏した。

仙台市ガス局では、船によるLNGの受け入れのほかに、日本海エル・エヌ・ジーが所有する新潟県のLNG基地からのパイプラインによるガス供給ルートがあった。つまり、震災前から供給ルートを二重化していたことが奏功した。

石油資源開発(JAPEX)による「新潟‐仙台間ガスパイプライン」が開通したのは1996年。東北電力が新潟県の同LNG基地からパイプラインにより仙台の火力発電所までガスを送ることを決め、仙台市ガス局も相乗りした。

震災時もパイプラインに被害はなく、仙台市ガス局では早期の仮復旧が可能だと判断。通常の都市ガス製造で行う、液化石油ガス(LPガス)を付加することによる熱量調整をせず、ガス漏れ検知用の付臭剤だけを添加し、供給停止から12日程度で製造を再開した。仙台市などでは早期にガス供給の再開が進み、復興の支えになった。

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