楠木:「兼業小説家」というと、普通なら、あくまでもやりたいことは小説書きなのだけれども、生活があるのでしょうがないから仕事をやるという感じ。たとえば、実業団でメインはスポーツ選手で、生活があるから会社の仕事もするというパターン。磯﨑さんはまったく違いますね。仕事も「ザ・総合商社」で、実際にお仕事をなさっているところを見ると「ザ・商社マン」。ま、昭和の商社マンというよりは、平成のモダンな商社マンという印象ですけど。
磯﨑:もともとは鉄鋼の営業や、米国に駐在していたりしたので、そんな感じだったかもしれませんが、今は人事で採用とか研修をやっているので、いわゆる商社マンのイメージとは少し違っているのかもしれません。
楠木:でも、単純に好きなことで大成功という人はほとんどいませんでしょう。磯﨑さんのことで気になっているのは、小説家としての自分と、商社で仕事をするマネジャーという自分との間で、どう折り合いをつけているのか、ということなのです。
磯﨑:よく聞かれる質問ではあるのですが、正直に言って、折り合いはつけてはいません。昔なら、作家として取材に応じたときには、いかにも作家然としたことを言ったり、サラリーマンとして仕事をするときにサラリーマンらしいことを言ったりするほうが、相手の期待に応えることになっていたと思うのです。でも、これは昭和時代の発想だと思うんです。しかし、今は、お定まりの原稿を読んだりするのではビジネスの世界でも通用しない、「で、お前はどう考えるのか?」と、問われるようになってきているのではないでしょうか。
楠木:たとえば、それはどういうことですか。
磯﨑:私は社内で人事関係の仕事をしているのですが、誰かに相談されたときは、人事担当者として話を聞いたり、答えたりするだけではなく、自分自身の価値観、人生観まで含めてアドバイスをします。自分が本当に思っていることを言うようにしています。信念の部分で、小説家とサラリーマンを使い分けるといったことはしていませんし、自分の中で無理をしているという感じもありません。立場によって切り替えるようなことは、すごく表面的だし、ウソっぽくなるような気がするんです。
楠木:なるほど。確かにそうかもしれませんね。ただ、折り合いをつけていない、というのは意外でした。表面的にはまるで違う、真逆の仕事に見えますからね。
(構成:松岡賢治、撮影:谷川真紀子)
※ 対談(下)に続く
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