4畳半、風呂なし生活からスタート
塩野:慰留されたらこう返そう、とシミュレーションしていたのに。それで師匠のところにもう1回お願いに行ったわけですね。
志の春:ええ。師匠の楽屋で出待ちして、「弟子にしてください。会社辞めて参りました」と言ったら、「おいお前、辞めろって、そっちじゃねえぞ。辞めるのをやめろと言ったんだ」と言いながらも、「辞めたんだったら仕方がないや。そこらへんウロウロしてろ」と言われた。「ウロウロしてろ」というのは、師匠の師匠である談志師匠が、志の輔に入門を許可したときに言った言葉なんですよ。その伝統の「ウロウロ」が出た。
塩野:そうでしたか。うれしかったですか。
志の春:うれしかったですね。そこから付き人とか運転手とかをやりながら、芸名をもらうことを目標に、見習い生活が始まりました。
塩野:最初はお給料も全然出ないそうですが。
志の春:そうです、ゼロですね。前座になって師匠の会で高座に上がるようになると、1回何千円というお小遣いのようなものが出ますが、それまでの付き人稼業はずっと無収入ですね。
塩野:何年間ぐらい、どういう暮らしをしていたのですか。
志の春:恵比寿に師匠の事務所があったので、近くに引っ越しました。家賃2万9000円、4畳半、風呂なし、トイレ共同という部屋があったんですよ。家主のおばあちゃんが管理人さんとしてひとりで住んでたんですが、当時87歳で、半年くらい経ったときに、「もう管理していくのは無理だから、ここは売っちゃう。ごめんなさい、ほかを探して」と言われた。それで同じ恵比寿に、同じく家賃2万円台で風呂なし、トイレ共同のところを見つけた。87歳が「私もう駄目」と言ってるのに、そこの家主は92歳。だいたい恵比寿あたりでそんな家を持っているのは、たぶん「おじいちゃんとの思い出の家だから取り壊したくない」という、頑固なおばあちゃんくらいですよ。もしビルとか建てたらめちゃくちゃ家賃が高くなるのに。
塩野:そういう物件があってよかったですね。
志の春:ありがたかったですよ。二つ目になるまで、銭湯に通いながらそこで8年くらい暮らしました。その間、いろいろなものが質屋に消えていきました。
塩野:落語そのものですね(笑)。じゃあ今までの蓄えで暮らしていた?
志の春:そうです。あの会社にいたおかげで、ある程度、貯金があったので、それを切り崩しながらなんとか月7万~8万円の生活費で暮らしていました。
塩野:でも、いつちゃんと収入があるか、周りに認められるか、わからないわけですよね。
志の春:わかりませんね。前座として何回か高座に上がるようになっても、出られるのは師匠の会だけですから、月に4~5回で何千円のレベル。でも前座になって5年、6年過ぎると、ほかの師匠のお仕事にも呼んでもらえて、ギリギリ落語で食べていけるようになりましたね。
(構成:長山清子、撮影:梅谷秀司)
※ 後編は5月9日(金)に掲載します
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら