ニュージーランド公立小の"自由で刺激的"な日常 移民大国で根付く「ダイバーシティ教育」の実際

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授業中のイラスト
芸術学者の平倉圭さんとの対談です(画像:Turn.around.around/PIXTA)
いま、子どもたちの教育現場では、暗記偏重の「勉強」が敬遠され、「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)にみられるような「学び」という言葉が積極的に取り入れられています。しかし、現代社会で使われる「学び」を大人たちはどこまで理解し、実践しているのか。勉強が役に立たないというのは本当なのかーー。
教育者であり、福岡で学習塾を経営する鳥羽和久さんの新著『「学び」がわからなくなったときに読む本』は、「学び」という言葉への疑わしさの感覚を出発点に、本来の「学び」を自らの手に取り戻すためにどのような取り組みが有効なのか、そのことを知るために、学びの現場にいる人たちに話を聞きにいった、その対話の記録です。
同書から一部を抜粋、編集し3回に分けてお届けします。
2回目となる今回は、芸術学者の平倉圭さんとの対談です。
前回記事『「暗記勉強は無意味」では全くないと断言できる訳

ニュージーランド公教育の現場から

鳥羽:平倉さんに直接お目にかかりたくて、単身でニュージーランドまでやってきました。

平倉:はるばる来てくださってありがとうございます。正直、びっくりしました。

鳥羽:横浜の大学で芸術論を教えていた平倉さんですが、いまはサバティカルでウェリントンにいらっしゃると知って。いやー、遠いなぁと思ったのですが、やはり平倉さんとは面と向かってお会いしないと、というか、からだを向き合わせて喋らないと対談の意味が薄まってしまうような気がしたんです。これは、平倉さんのこれまでのお仕事に対する僕なりの1つの答えです。

今朝、平倉さんのお子さんたちが通ってる小学校を見学させていただきましたね。とても刺激を受けました。硬直化したカリキュラムではなく、自由度の高いフレキシブルな学習をしているのがすぐに感じられました。

さらに、自由でありながらも、子どもたちに伝えるべきことはちゃんと伝えるぞ、という先生たちの気概も同時に感じられました。実際にお子さんを通わせて、こちらの学校にどんな印象を抱きましたか?

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