ニュージーランド公立小の"自由で刺激的"な日常 移民大国で根付く「ダイバーシティ教育」の実際
鳥羽:それはすごいな。日本ではなかなか考えられないことですね。
平倉:ニュージーランドは移民大国なので、当然生徒にも移民ルーツの子が多い。私の子たちの通う小学校では、40カ国くらいの異なるルーツの子が集まっています。それぞれ異なる文化で育ち、いろんなバイアスを持っている。学校では、そのバイアスを頭ごなしに否定するんじゃなくて、互いのバイアスを持ち寄り比べてみようと。そういう機会がカリキュラムに組み込まれています。私たちも移民として来ているので、1年間だけですが、そういう環境で学べるのはラッキーですね。
問題は具体的な予算と人員
鳥羽:本当にいい経験になりますね。日本では多様性(ダイバーシティ)という言葉が実質をともなっていません。この言葉は、いまや中学公民の教科書にも太字で載っていますが、子どもたちだけでなく、教える側の大人さえも、その言葉の本体のようなものがわからないままに多用している。多様性というのは混沌とした収まりがつかないものなのに、それが単なるイマどきの言葉として消費されている。
それに比べて、この地でダイバーシティ教育が根付いていることは羨ましいし、子どもたちにとってはシンプルに刺激的だろうなと想像します。
平倉:先ほどの予算の話にもつながりますが、ダイバーシティの実現のためにも予算が必要です。多様性という言葉には、国籍や民族的ルーツだけでなく、個々人の心身のさまざまな特性も含まれます。
例えば、授業中にバーッと外に飛び出していってしまうような落ち着きのない子が、同じ空間で学ぶためにはどうすればいいか。そのためには専門のスタッフをつけるしかないわけで、そこにもお金がかかる。ダイバーシティの実現も絵空ごとじゃなくて、具体的な予算と人員の話になるんです。
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