ニュージーランド公立小の"自由で刺激的"な日常 移民大国で根付く「ダイバーシティ教育」の実際
鳥羽:なるほど。そういったリアリティがニュージーランドでは感じられます。実際にやるためにはまずは予算なのだ、というプラクティカルな話になるところが非常に頼もしいです。
なぜ入学式で「カパ・ハカ」を踊るのか
鳥羽:今日は公立の小学校だけでなく、公立の高校も見学しましたが、どちらの学校にも共通していたのが、先住民族マオリのカラーを前面に打ち出していることでした。
現代で伝統的な文化を扱うとなると、単にファッションとして消費されたり、すでに死んで標本化したものを死体のまま生きたように再現するような、ある種グロテスクな展示がなされたりしがちです。
ところが、ここではちゃんと土着のものとして向き合っているように感じられました。それらは守られるべきものというよりは、いきいきと生かされるべきものとして扱われているように感じられました。
平倉:マオリはまさに生きた文化です。また、それを生きたものとして「取り返す」ための実験が絶えず行われている。背景には、ニュージーランド──マオリ語では「アオテアロア(長く白い雲のたなびく地)」──において、ヨーロッパ系入植者たち(パケハ)がマオリから不当に土地を奪い、戦争で殺戮し、社会的・経済的な苦境下に抑圧してきた長い歴史があります。
1960年代まで、学校でマオリ語を話すと体罰を受けるような状況だったと近所の人から聞きました。マオリの文化は一度、強制的に潰されかけたんです。
1970年代から高まるマオリの復権運動のなかで、立ち返るポイントとなったのが1840年に締結された「ワイタンギ条約」でした。これは、イギリス女王とマオリの首長たちの間で結ばれた条約で、条約締結の際に英語からマオリ語に翻訳されていますが、英語で読むとマオリは「主権(sovereignty)」をイギリスに全面的に譲渡したことになっている。
ところが、マオリ語版ではイギリスは「監督」を行うだけで、土地を含むマオリのすべての「宝」についての権限は、マオリの首長が有すると謳われているんです。つまりマオリの首長たちがサインしたのは、マオリとパケハが共同で土地を管理するという条約だった。
この条約はその後、長く無視されていましたが、マオリの復権運動の展開と1975年に制定された「ワイタンギ条約法」を通して、マオリ語で書かれた条文の意義が再認識されたんです。
そこからこの国は、どうやったら先住民マオリと入植者の子孫による「共同統治」を実社会で実現できるかを模索し始めた。これは、アオテアロア/ニュージーランドという国家のかたちを構想し直す現在進行中の実験です。学校でマオリの文化が重視されているのも、このワイタンギ条約の理念に基づいています。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら